戦国時代の好きな武将ランキングをすると必ずといってもいいほど上位に入ってくる伊達政宗ですが、具体的にどのような功績やエピソードがあることを知っている人は少ないでしょう。
そこで、今回は伊達政宗の人気がある理由を解説しつつ、有名な功績やエピソードについてもまとめていきます。
人気になった理由はいくつかありますが、それらがうまく絡み合ったことでいつでも上位にランクインする存在になったのです。
伊達政宗の功績やエピソード
伊達政宗を知るには、まず簡易的な年表から何をした人なのかを知ることが大切です。
そこから功績やエピソードを結びつけることができ、深掘りが簡単にできるようになります。
筆者は以前、伊達政宗の年表を紹介しているので、そちらもぜひご覧ください。
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東北の覇者になる
わかりやすい功績がこの東北の覇者になったことです。
戦国時代における東北地方は、色んな大名同士が娘を結婚させる外交を行いまくっていたことで、非常に面倒くさい血縁関係や親戚関係になっていました。
そのため、戦争になったとしても本格的なつぶし合いには発展せずに、なあなあで終わることが多かったのです。
そういった事から戦国時代に詳しい人は、『戦国時代の東北は伊達政宗が来るまではプロレスをして遊んでいる』と表現されることが多くなっています。
そんな状況が嫌だったからなのか、親戚関係上は叔父に該当する最上義光とも殺し合いになるほどに戦争を繰り返して、最終的には東北全土をほぼ敵にした状態になったのにもかかわらずたたきつぶしました。
伊達政宗が最大の領土を手に入れていたのは、1589年ですがこのときなんと23歳です。
野心むき出しにしすぎたせいで、秀吉から大厳封を食らってしまうのですが、それでもこの功績が消えることはないでしょう。
世渡り上手
伊達政宗の功績という訳ではありませんが、最大の特徴は世渡り上手だったことでしょう。
有名なエピソードが小田原征伐で遅刻して参陣し、討伐令が出されるところまでいきそうだったギリギリのタイミングで死に装束を着て会いに行きました。
その前に前田利家が会いに来て詰問したとか、そこで千利休の手ほどきを受けたいといったお話もありますが、こういった剛胆さもなかなかのものと言われています。
大遅刻したのもあってか減封処分を受けることになりますが、それを不服に思ったのかわざと一揆を発生させて、鎮圧しその功績での領土拡大を企みます。
しかしその企みがバレて、またまた呼び出しを食らうことになるのですが、そこでも死に装束で乗り切ります。
さらには豊臣秀次の切腹騒動で、秀次と仲が良かった伊達政宗も色々と怪しまれるのですが相変わらずの口八丁でうまく説得して乗り切ります。
その後はうまく徳川家康に取り入って仙台藩主となります。
そこでも領土拡大を狙って一揆を扇動しようとしますが、それでも気に入られたからなのか62万石の領地を与えられることになりました。
慶長遣欧使節は大きな功績
キリスト教弾圧など鎖国に向けて日本そのものが大きく舵を切っていたタイミングで、伊達政宗はスペインの通商交渉を行うために、支倉常長を筆頭にした使節団を派遣したのは大きな功績でしょう。
日本人が相手国で外交交渉をしたのはこれが初とも言われており、先見の明があると多くの方々がたたえる一大イベントなのです。
最終的には支倉常長の死去や協力したフランシスコ会宣教師のルイス・ソテロが日本への密入国に失敗して、死刑になってしまうなどのトラブルもあって、失敗として扱われてしまうのですが、評価する声がとても多いエピソードとなっています。
最終的に江戸幕府に貢献する
大きな野心家でもあった伊達政宗ですが、リアリストでもあったと言われています。
その中でも興味深いエピソードが、江戸幕府が開かれ戦争をすることができずに領土拡大ができなくなった1635年のお話です。
この頃になると最強とうたわれていた戦国大名は寿命で死亡しているか、引退している方々がほとんどであり、戦いを知っている人は激減します。
そして徳川家も3代目家光の時代になるのですが、家光は参勤交代を全国の大名に命じることになるのですが、そのタイミングで伊達政宗は真っ先に家光の見方をします。
『逆らったら滅ぼす』のようなな言葉すら残しているので、これが家光にとっての強い後押しとなったと言われているのです。
なぜここまで人気があるの?
このようなエピソードがあるのが理由なのか、伊達政宗はものすごく人気があります。
そこで、なぜここまで人気があるのかを歴史好きで戦国時代好きの筆者の独断と偏見を交えつつ見ていきましょう。
伊達政宗が好きになった理由は以下のような原因があると思われます。
大河ドラマが面白かった
NHK大河ドラマと言えば非常に人気な作品を抱えていますが、その中でも絶頂期と言われているのが昭和から平成にかけて作られた作品群です。
その中にカテゴリーされているのが1987年に放送された『伊達政宗』となります。
今現在40代以上の方々で伊達政宗が好きという方はこの影響を確実に受けているでしょう。
シミュレーションゲームで好きになった
戦国時代好きな人の中には、コーエーテクモゲームスから発売されている信長の野望シリーズから好きになった人もいます。
このシリーズにはまった人はとりあえず有名な大名でやるか、地元の大名でやるところからスタートします。
そこから、気になった武将がいればその武将を配下にしたり、天下を取らせるといったゲームをするのです。
実際に信長の野望シリーズでも、伊達政宗は非常に高い評価を受けている人物であり、ステータスも高水準でまとまっているため愛用していた人も多いでしょう。
色んなゲーム媒体で好きになった
先ほど紹介した信長の野望シリーズとは別に、戦国時代を取り扱ったアクションゲームなどで好きになった人もいます。
いわゆる戦国BASARAシリーズや戦国無双といったゲームで好きになった人もここに入ります。
これらの作品では、伊達政宗がとってもかっこよく描かれているので、そこから好きになったという人もたくさんいるのです。
他にも女性ファンに圧倒的な人気がある刀剣乱舞で、伊達政宗の愛刀である『燭台切光忠(しょくだいきりみつただ)』が登場するので、そこから伊達政宗が好きになった人もいます。
歴史的なエピソードが面白すぎる
筆者はこちらにも該当するのですが、伊達政宗のエピソードが面白すぎるために好きになった人もいるのです。
死に装束を着たりマッチポンプをしたり、野心を隠さないせいで痛い目を見たり等こういった人生が面白いと思う人は多いと思います。
筆者は信長の野望で伊達政宗を知り、そこから史実がどうなっているのかをチェックすることでお気に入りの武将の1人になりました。
まとめ
以上、いかがだったでしょうか。
今回は伊達政宗について色々とご紹介いたしました。
エピソードをあっさりとした形で紹介しましたが、それでもなかなか大胆な事をしているので、それだけで興味を持たれる人も多いでしょう。
掘り下げれば掘り下げるほど面白い人物であることがわかりますが、そこに戦国時代の東北地方がどうなっているのかを知るところも追加すると、どれだけ大きなことをした人物なのかがより際立ってきます。
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