教科書の変化について解説!鎌倉幕府1185年?聖徳太子・和同開珎・冥王星等に変化あり!

教科書の変化について解説!日本史の年号や冥王星等についても変化あり!

歴史的な発見は時代を進めるごとに必ずあるモノで、その発見によって今までと扱いが大きく変わるようになってしまった事柄というのも登場します。

現在30代~50代の方は、びっくりするような情報が満載です。

今回は昔と今の教科書の違いについてひたすら掘り下げ、特に歴史の分野でどのような違いが発生しているのかを見てみましょう。

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聖徳太子という名前が消滅している?

今の教科書と昔の教科書の違いはかなりたくさんありますが、その中でもインパクトのあるモノから紹介しましょう。

まずは、かなりショッキングな情報である『聖徳太子』にまつわるお話です。

日本史における最初の方で習う有名人といえば、『卑弥呼』や『聖徳太子』や『蘇我入鹿』といった人物ですが、どうやら今の教科書には『聖徳太子』という名前が消えつつあるようです。

というのも、この聖徳太子は真田幸村のように、死亡した後に名付けられた尊称で、生前は別の名前を名乗ったと言われております。

日本書紀に記載されている名前は、『厩戸皇子(うまやとのみこと)』となっており、今の教科書ではこちらの名前を使うのが主流となっています。

または、正式には『厩戸王(うまやとおう)』といいます。

また、聖徳太子という人物を授業で学んだときは、『冠位十二階や憲法十七条の制定及び遣隋使の派遣といった偉業を成し遂げた人』という情報を得たと思います。

しかし、どうやらこの部分も違うようで、これらの偉業や事業をそもそも一人で成し遂げるのは不可能であり、『憲法十七条』も『冠位十二階』も『遣隋使』も、彼が主体として確実に関与していたという証拠もなく、疑問という考え方すらあります。

教科書によっては一人の偉業ではなく、蘇我馬子といった人物と共同で執政したとされています。

聖徳太子は死後に祭り上げられた?

聖徳太子がここまでスゴイ人物であると歴史の教科書で学んだ最大の理由は、『壬申の乱というものすごい皇位継承権争いで、失われた天皇の信頼を取り戻すために、天武天皇が誇大評価して聖徳太子という人物を作り上げた』とされております。

つまり、今現在社会人として働いている多くの人達が、この誇大評価されてしまっている聖徳太子という人物の情報を、信じていたということになってしまうのです。

冠位十二階は多くの人物達の合作、憲法十七条もその時代に作られたのかは怪しく、後の時代に完成していたと言われています。

また遣隋使は、小野妹子より以前から派遣しており、偉業ではないという指摘があるのです。

このように、聖徳太子の偉業に疑問符がついてしまうことで、歴史的人物であったのかどうかという意見すら出ています。

鎌倉幕府は1192年じゃない!?

 

歴史を学ぶときに必ず行われるのが、そのときに発生したいイベントを語呂合わせのようにミックスさせて年代を覚えることです。

その筆頭が『いい国作ろう鎌倉幕府』だと思います。

しかし、今の教科書では鎌倉幕府ができたのは、1192年ではなく1185年であるとされているのです。

源頼朝が征夷大将軍になったのは1192年で間違いないとされていますが、平家が滅亡して全国に守護地頭を配置し、実質的な幕府設立となったのは1185年であるという解釈が出てきたのです。

今ではこちらの解釈のほうが鎌倉幕府ができたタイミングであるとされており、語呂合わせも『いい箱つくろう鎌倉幕府』に変わってしまいました。

また、この鎌倉幕府を設立した源頼朝に使われていた上記の参考URLの画像ですが、どうも本当に源頼朝なのかどうかが怪しいということで、この画像も使われなくなっているようです。

日本で最初に発行された貨幣は和同開珎ではない?

日本で最も古いお金といえば『和同開珎』と習った人も多いですが、どうもそれよりも古い貨幣が見つかっており、今ではそちらが最も古いお金として扱われています。

それは1999年に、奈良県明日香村の飛鳥池遺跡で発掘された『富本銭』です。

この『富本銭』は、687年と書かれた木簡と共に見つかったため、708年に作られた『和同開珎』よりも、古いお金であると考えられるようになりました。

鋳型で大量生産されていたこの『富本銭』は、だいたい10円玉ぐらいのサイズで、天武天皇が勅令を出して発行された貨幣であると考えられております。

冥王星は太陽系惑星ではない

太陽系の惑星を覚える方法が『水金地火木土天海』という語呂合わせですが、『冥王星は惑星とは言えない』と、国際天文学連合2006年に提唱したことで、教科書から冥王星の記述が激減します。

語呂合わせで覚えるときも、『水金地火木土天海』で止まるのです。

そもそもこの冥王星は、惑星の基準が曖昧な状態で太陽系惑星の一つとして扱われていました。

しかし2005年に準惑星であり、太陽系外縁天体のサブグループである、冥王星型天体エリスが発見されてから、惑星の基準見直しされたのです。

新しい天体を惑星として扱うのか、準惑星として扱うのかが議論になり、そこで惑星の定義づけが明確にされることで、冥王星が惑星の基準を満たすことができない準惑星という扱いになってしまいました。

大化の改新って645年じゃないの?

蘇我入鹿の暗殺で知られる『大化の改新』は、645年であると習った人も多いと思います。

この大化の改新は蘇我入鹿の暗殺のことではなく、政治改革のことであるという指摘が多数あるのです。

その政治改革の中身は、『国郡制度』や『公地公民制』などを実行することにあったのですが、これらの改革が実を結ぶまで50年以上の歳月がかかっており、とっても長く大化の改新が続いていたことがわかります。

そして、この大化の改新は政治改革がスタートした年であるという考え方が主流となり、それが646年であるため年代の変更が発生しました。

体育の授業や部活動の中身も別物?

一昔前の体育や部活動は様々な練習メニューは現代ではほぼ撤廃されており、かなり一新されております。

現代での体育学は子どもに合わせた質重視の内容にシフトしており、根拠のない根性論的な練習メニューは禁忌とされています。

今現在40代や50代の人達が一度はしたことがあるウサギ跳びや、無闇な走り込みはリスクだけが高く意味がないということで完全撤廃されています。

本格的に下半身を鍛えたい場合は、ウォーキングレンジやヒップリフトなど負担が少ないということが、医学的に証明されたモノを用いており、あらゆる行動に医学的な証明がされている行動を求められるようになりました。

こういった体育の授業や部活動の中身まで変わっているのが実状なのです。

まとめ

以上、いかがだったでしょうか。

今回は昔の教科書と今の教科書の違いについて色々と記載して参りました。

このように発生した時期まで変わってしまっている歴史がかなりありますので、今現在社会人の方達も、改めて歴史を勉強すると新発見が大量にあると思います。

個人的に驚いたのは、聖徳太子の偉業が誇大広告であるという情報を見たことと、鎌倉幕府設立が1192年ではなくなってしまったことです。

日本史や宇宙は、夢やロマンがあるなと改めて感じさせられますよね。

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