戦国時代にそこまで詳しくない人でも聞いたことがあるという人が多い上杉謙信は、『とても強い人』とか『毘沙門天の人』というイメージを抱かれていることが多いです。
しかし、この上杉謙信はいろんな噂が存在している人物で中には、女性説というとんでもないものも存在します。
今回は実は女だった?というびっくりな噂を中心に、上杉謙信にまつわるいろんな噂を集めてまいります。
上杉謙信女説
上杉謙信には様々な噂がありますが、中でもトンデモ説ですが信憑性が高いといわれているのが、「実は女性だった」という説です。
日本でも戦国時代や三国志という戦物を扱ったら、ぴか一のゲームメーカーである、『コーエー』様でも上記画像のように、上杉謙信を女性にしてしまうことすらあります。
『信長の野望』というゲームをやったことがあるという人や、聞いたことがあるという人は多いと思いますが、その『信長の野望』で女性にしてプレイすることができちゃいます。
かの有名なゲームで、そのようなことができてしまうということは、それなりの理由があるはずです。
何を根拠にこのようなぶっ飛んだことが発生しているのでしょうか。
月に一度の腹痛は生理だったのでは?
上杉謙信が女性説といわれるようになってしまった大きな理由の一つが、『毎月10日前後に腹痛を起こしていたという記録があるから』です。
関東の中でも最強の軍団である北条家との戦がある時でも、腹痛で城に引きこもっていたという記録が『松平記』にもあるのです。
『これっていわゆる生理痛なのでは?』と考える人が多かったので、女性説がささやかれるようになりました。
生涯独身かつ生涯不犯だったのは女だったから?
一生涯結婚せずに独身だった上杉謙信は、これが理由で女性説が唱えられていることもあります。
生涯独身だった理由は、『毘沙門天信仰による厳しい戒律を順守した結果』であるという意見も、勿論あるのですが、中には『女性であることをずっと隠し通したから独身だったのでは』という意見もあるのです。
これは決定的な理由になるかどうかはちょっと怪しいですが、隠し続けていたという理由はある程度つじつまが合うとは思ってしまいます。
上杉謙信の弾き語りの内容がおかしいから?
慕われている城主やあこがれている武将に対して、当時は様々な歌が歌われる時代でした。
そのため、上杉謙信にまつわる語りや歌というのはかなりあったようです。
その中で、上杉謙信の城下である越後の『ごぜ唄 越後瞽女屋敷・世襲山本ごい名』にとんでもない歌詞がありました。
それは『 白虫赤虫一二匹 まんじ巴とくるうなか とらどしとらづきとらの日に 生まれたまいしまんとらさまは 城山さまのおんために 赤槍たててご出陣 男もおよばぬ大力無双』というものです。
ここで出てくる『まんとらさま』というのが上杉謙信のことなのですが、『男もおよばぬ』という表現をされており、いわゆる男勝りの人物という表現をされているのです。
男性ならばこのような表現はされないという見解が、ここから多くの方が持たれているので、女性説が出てきております。
上杉謙信が来ていた服が小さすぎるから?
戦国時代は今よりも栄養が足りていない時代だったので、農民も商人も武家も等しく身長が低いです。
上杉謙信はその中でも大柄で180cmはあったのではないのかという情報もありますが、140cmぐらいしかなかったのではという噂もあるのです。
米沢城に上杉謙信の腹巻きが残されているようですが、これがかなり小さかったので男性では入らないのではと考えられるのもわかります。
シンプルに身長が伸びなかったからという理由もあると思いますが、これも女性説を後押しする噂となっています。
スペイン国王への報告書に『叔母』という表現をされていたから?
当時のヨーロッパは、世界中に植民地を求めて海を渡っていた時代ですが、その影響は日本にもきており、一部の人たちは宗教の普及または黄金探しに日本に来ていたのです。
その中にスペインの国王である、フェリペ2世から依頼を受けて派遣された『ゴンザレス』という人物がおり、そのゴンザレスの報告書に「会津の上杉景勝は叔母が開発した佐渡の金がある」という文章があり、ここで出てくる叔母とは上杉謙信のことではないのかと噂されているのです。
スペイン語では叔母であればTia、叔父がTioなので、つづりを間違っただけではという意見もあるのですが、間違いじゃなければそのおばとは上杉謙信になってしまいます。
死因が女性特有の病気だったから?
上杉謙信はお酒や塩辛いものが大好きだったがゆえに、発生した『脳出血』や『脳卒中』であるといわれております。
しかし、一部の記録では脳の出血ではなく『大虫』だったとされているのです。
この大虫とはいわゆる更年期障害や婦人病といった女性特有の病気で、女性説が出る理由の一つとなっております。
敵に塩を送るは美談ではなく金儲け?
上杉謙信は敵である武田信玄相手に、塩が不足していることを察知して塩を送ったという話は美談になっておりますし、今でも『敵に塩を送る』ということわざで用いられております。
背景をちょっと説明すると、武田はもともと同盟を結んでいた今川と北条と敵対して戦争状態に突入し、経済制裁で塩が入らない状態にされてしまったためです。
武田信玄がいた甲斐の国は、今の山梨県であり海に面していないので塩が入ってきません。
この状態を見かねた上杉謙信が塩を送ったため、美談となっているのです。
ただし、この塩はプレゼントではなく売ったのではないのかという説があります。
塩をプレゼントするときに、書状で『民をいたぶる気はないし戦場で決着をつけたいから塩を送る』といった内容があったとされていますが、軍資金を稼ぐためならばある程度なったできる部分もあります。
それでも個人的には美談のほうを信じたいです。
川中島で本当に一騎打ちをしたの?
上杉謙信や武田信玄が主役のお話で必ず取り上げられる川中島ですが、その戦の中でも有名なのが、上杉謙信が馬にのって切り込み軍配を持っている武田信玄と一騎打ちをしたというお話です。
大将自ら単騎突撃というのもなかなかに衝撃ですが、軍配で馬に乗った人の一振りをしのぐというのもなかなかに衝撃的です。
上杉謙信の突撃というのは想像しやすいのでいいのですが、個人的に軍配でしのぐのがきついと思っています。
そのため逸話といわれてしまうのも、仕方がないかなと感じてしまうのです。
まとめ
以上、いかがだったでしょうか。
今回は上杉謙信にまつわる噂を集めてまいりました。
このように上杉謙信女説はけっこういろんな証拠や噂があるのです。
本当は男性だったら、このように噂をされている現状にびっくりすること間違いなしでしょう。
しかも、日本を代表する戦国歴史ゲームのコーエーも、女性説を後押しするかのような要素を盛り込んでいるので、そちらも衝撃的です。
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