日本人にとって見慣れたスポーツの代名詞の野球ですが、野球にまつわる様々な疑問や気になることも数多くあるのも事実でしょう。
そこで、今回は読売ジャイアンツのユニフォームがメジャーリーグのサンフランシスコジャイアンツにそっくりな件についてまとめてみました。
そもそもジャイアンツという名前まで一緒だし、パクリなのか公認なのかそこらへんどうなっているのかを見ていきましょう。
読売ジャイアンツとサンフランシスコジャイアンツの繋がりについて
2021年は大谷翔平がメジャーリーグで大暴れしたことで、大谷翔平選手が気になりついつい試合を見ていた人も多いことでしょう。
大谷翔平選手を見ていた人達にとっては、様々なメジャーリーグの球団を目にすることになったので、様々なチームや選手やユニフォームも知ることになったと思います。
その中で、サンフランシスコジャイアンツと対戦している大谷翔平選手を見ていてこう思った方がいると思います。
『ユニフォームがジャイアンツのものとそっくりだし、名前的にも一緒だから何らかの繋がりがあるのか?』といったジャイアンツ繋がりにまつわる事柄です。
こちらも結論を記載すると『そこまで密接的な繋がりはないが、あると言えばある』となります。
この繋がりを知るには、読売ジャイアンツがどのように誕生したのかを知る必要があるので、そちらも掘り下げて生きます。
読売ジャイアンツ誕生の歴史をちょっと振り返る
サンフランシスコジャイアンツと読売ジャイアンツの繋がりを知るには、そもそもこの読売ジャイアンツがどのように誕生したのかを知る必要があります。
読売ジャイアンツの前身である『大日本東京野球倶楽部』が誕生したのは1934年ですが、この大日本東京野球倶楽部は元々ベーブ・ルースを筆頭にしたメジャーリーグ選抜軍と戦うプロ野球集団から誕生したといったお話があります。
1934年よりも前の1931年にもメジャーリーグ選抜軍が来訪しそのときは、全日本代表チームや大学の強豪チームとの試合で大盛り上がりだったのですが、1932年に政府から野球統制訓令が発令されたことで大学チームを対戦チームとして用いることが出来なくなったのです。
そのため職業野球チームを発足する人を集めたのですが、メジャーリーグ選抜との戦いが終わった後にその時のメンバーを中心に誕生したのが『大日本東京野球倶楽部』になります。
この戦いで野球の本場であるメジャーリーグとの絶望的な差を感じていた大日本東京野球倶楽部は、1935年に第1次アメリカ遠征を行いました。
そこで現地のマネージャーであるフランク・オドールから、『その名前はちょっとわかりにくいから止めた方がいい』と指摘を受け、元ジャイアンツの選手だったこともありジャイアンツを名乗ることを推奨されたのです。
帰国後の1936年に大日本東京野球倶楽部は名前を改めて『東京巨人軍』になります。
第二次世界大戦により日本のプロ野球は一度ストップしてしまいますが、1946年に開催されることになります。
このタイミングで東京巨人軍が『東京読売巨人軍』に変わり、ニックネームを『東京ジャイアンツ』に切り替えたのです。
読売ジャイアンツのユニフォームは結局サンフランシスコジャイアンツのパクリなの?
結論を記載すると『日本プロ野球のジャイアンツが、メジャーリーグのジャイアンツをリスペクトして名前をもらって誕生したからある意味でパクりであるとも言える』となります。
このリスペクト精神をどのように表現するのかによって変わってくる部分なので、パクりと言われても筆者は反論できません。
ニューヨークにジャイアンツがある時代のアメリカ遠征時にジャイアンツを名乗った方が良いと言われたから名乗ったといった経緯があるようですが、ユニフォームまでパクれと言われたかどうかは調べた限りでは一切出てきませんでした。
名前については名乗った方が良いといった由来があることは色んな記事で拾うことが出来たのですが、ユニフォームについて模倣した方が良いかどうかといった記事はついぞ見つけることが出来なかったのです。
こればかりは当時の大日本東京野球倶楽部にいた広報の方やユニフォームデザインを担当した人達に取材をしない限りは解決しない議題と言えるでしょう。
個人的な見解としては名前をもらったのなら、ついでにユニフォームデザインも模倣させてもらうのはよくあることだと思っています。
模倣された側としても自分たちの知名度上昇にむしろ繋がるからOKとしたのではないでしょうか。
サンフランシスコジャイアンツと対戦して名前をもらった?
一昔前までは様々な噂や都市伝説がありましたが、その中には読売ジャイアンツにまつわるものも色々とあったのです。
そういった噂話の一つに『サンフランシスコジャイアンツと対戦して名前をもらった』という説です。
これは間違っているので注意しましょう。
確かに、ジャイアンツから名前をもらったのは事実ですが、この時のサンフランシスコジャイアンツは実はニューヨークに本拠地があり、『ニューヨークジャイアンツ』を名乗っていたからです。
サンフランシスコジャイアンツになったのは1958年にカリフォルニアへ本拠地を移してからです。
読売ジャイアンツの前身である大日本東京野球倶楽部が渡米していた時期は、ジャイアンツがまだニューヨークにいたので噂とは異なっています。
当時のニューヨークにはヤンキース以外にドジャースとジャイアンツがいたので、野球をする場所としてはまさに最適な場所だったのです。
当時は飛行機便がなかったために船便での移動となったのですが、船便での移動を考えるとニューヨークよりも西海岸にあるサンフランシスコの方が移動しやすいのは確かだったので、その噂が出るのも納得できる部分はあります。
今のユニフォームについて
野球チームのユニフォームは定期的に一新されますが、巨人も同じように定期的に一新されています。
昨今で大きく変わったのは、2015年にアンダーアーマーが制作しているユニフォームに切り替わったことでしょう。
このタイミングで1993年から続いた胸番号がなくなり、代わりに『TOKYO』の文字があしらわれるようになりました。
しかし、2021年になるとミズノ社製のユニフォームにさらに変更となり、胸番号が再び復活することになります。
このように5年から6年でユニフォームは結構大きく替わっているので、歴代ユニフォームを追いかけるのも楽しいですよ。
まとめ
以上、いかがだったでしょうか。
今回は読売ジャイアンツとサンフランシスコジャイアンツの繋がりについて解説しつつ、ユニフォームが似ているのはパクリなのかどうかについて見ていきました。
名前については元ジャイアンツの選手からもらった方が良いと言われてもらったようですが、ユニフォームについては不明でした。
おそらく名前をもらうのならユニフォームも同じようにした方が良いと言われたのではないでしょうか。
こればかりは憶測になってしまうのでなんとも言えないのですが、繋がりがあるのは間違いないのですから同じになるのも納得できると思います。
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