『すし』の漢字はなぜ4種類もある?『寿司』『鮨』『寿し』『鮓』の違いや歴史とは?

日本には様々な文化があり日本古来の食べ物にも色々と歴史があります。

今回はその中でもかなりの歴史がある寿司に注目し、『寿司』『』『寿し』『』と呼び名が何故このように色々とあるのかについて解説致します。

これはどういった歴史から誕生した食べ物だったのか、本当に4つとも同じ意味があるスシなのかも見ていきましょう。

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それぞれの『スシ』について

それではいきなりですが本題に入りましょう。

それぞれのスシは一体どういった意味があるのでしょうか。

『鮓』について

まず、スシの起源はこの『』から始まったと言われています。

この言葉の意味は、『魚介類になどを加えて発行させた保存食』となります。

この発酵食品の発酵を早めるためにどうやら昔の人達は、飯を一緒に漬けるといったスタイルだったようで、どうやら今のスシに繋がる何かが見えてきました。

保存食にするために用意された魚介類がスシとのことですが、いわゆる熟鮓(なれずし)が該当するため見たことがある人もいると思います。

漢字としては鯖鮓や鮒鮓などの表記で用いられるとのことですが、関西系のスシで使われている傾向にあったとのことです。

また、発酵させた食品であったためか特有の酸っぱさがあったようで、この『』は『酸っぱい食べ物』という意味もあったようです。

『鮨』について

この『』は元々中国の漢字であり、中国語では『魚の塩辛』という意味になります。

意味としては先ほど紹介した『鮓』とほぼ同じだったので、日本に伝わってからもほとんど混同して使われるようになります。

ただし、この文字が浸透したのは関東を中心にした地方で、関西では『』が主流のままだったようです。

いわゆる江戸前寿司がこの『』を使っていることが多いのは、このときの変化が関係していると言われております。

『寿し』について

そしてここからは現代にも通じる話になってきます

ずばり『寿し』についてです。

この言葉が浸透したのは、江戸時代の江戸からとなります。

江戸時代になると戦国時代から解放された反動からなのか、様々な娯楽や風習や縁起物などが一気に広がるようになり、人々は吉兆を色々と信じるようになってきます。

特にわかりやすいのが六曜などのその日の吉兆を表すもので、江戸時代に急激に広まって縁起が良いかどうかを意識する人が急激に増加したと言われています。

こういった縁起を担ぐというのは、いつ死ぬかわからない武士に浸透していたものだったのですが、それが江戸時代になると庶民にまで浸透して流行したのでしょう。

そしてこの流行がスシにも関わってきます。

まず、江戸時代は平和になったことで人口が増加し、外食店が大いに盛り上がるようになりスシ屋も一気に増加しました。

そこで、スシ屋が少しでも客引きができるように考えたのが、江戸時代特有の験担ぎに乗っかったのです。

江戸時代は長生きのお祝いである還暦古希などのお祝いをとても大切にしており、88歳の米寿もとてもめでたいと考えるようになりました。

つまり、『寿し』はこの米寿からあやかったのです。

この『寿』が入っている言葉は、縁起が良いと考えるようになったことで、江戸時代中期に『寿』を使う言葉が色々と誕生したと言われています。

この当時はスゴロクが双六ではなく『寿古六』であったとか、スアマが素甘ではなく『寿甘』だったとか色んなお話があります。

流行に乗った江戸の『鮨屋』は、めでたいこの文字を流用し商売繁盛につなげるために『寿し屋』になりました。

『寿司』について

寿司』が登場したのは江戸時代中期、1700年代後半に『寿し』が大流行した時代より100年程度遅れて誕生したと言われております。

この言葉も意味は現代のスシと一緒なのですが、込められた意味が異なります。

まず、京都では『御○○司』といった言葉が色々とあるのですが、これは御所御用達である専門職の方々が掲げています。

つまり、御所への出入りが許された職人がいるお店でしか使うことが出来なかったのです。

そういった職人への憧れから、一部のスシ職人が『寿し屋』改め『寿司屋』を名乗ったと考えられています

スシの定義について

スシの定義について、現代日本では『酢飯のシャリと魚介類を中心としたネタを組み合わせたもの』となります。

この要件を満たすことが出来ればスシになりますので、日本人にとっては考えられないようなスシが海外では色々と誕生しているのです。

あくまでも酢飯のシャリと組み合わせればokなので、使い方はとっても幅広いでしょう。

和食に限定してもにぎり寿司からちらし寿司いなり寿司から手巻き寿司など色々とありますがこれは定義が広いために全部当てはめることが出来るのです。

スシの歴史

スシの漢字について色々と解説した結果、その歴史についても軽く触れてきました。

スシは魚介類長期保存するために発酵食品にしたのが始まりで、奈良時代には朝廷に貢ぎ物として献上されていたという情報もあります。

冷蔵庫がないからこその発酵食品だったのです。

ところが、江戸時代中期になると米酢が当たり前となる事で、発酵していないスシが誕生し、作っては腐る前に全部消費するスタイルになります。

さらに江戸時代後期になると、握り寿司が発案され食べられるようになったとのことです。

本格的に刺身などのネタが使われるようになったのは明治30年以降です。

この時代になると流通の発展や漁法の進化、さらに氷で冷やして保存する方法も出来たので刺身のネタも増えたのでしょう。

さらに大正時代になると電気冷蔵庫が寿司屋でも使われるになったため現代風に一気に近づきます。

それでもスシは関東を中心とした食べ物であり、そこまで庶民全体には行き渡っていませんでした。

スシが広まった理由は?

スシが日本全国に広まった最大の理由は、関東大震災と言われています。

関東大震災によってスシ職人が全国に散らばったようで、関東地域で流行していた江戸前寿司の職人の技能が広まっていったのでした。

たくさんの悲劇を発生させる震災でしたが、スシの文化が日本全国に広まったのだけはプラスに働いた作用と言えるのではないでしょうか。

一般庶民に広まるようになったのは?

江戸前寿司が震災によって関東以外にも食べられるようになったとしても、まだまだ問題はありました。

ずばり衛生上の問題をクリアしているかどうかです。

食品を含めた衛生上の問題をよりリアルに考える時代に突入することで、そのメスは生食が色々とあるスシ文化にも向けられます。

その結果、メジャーであった屋台の寿司屋が問題をクリアできていないと言うことで、ほとんど消滅するのです。

するとどうなるか、衛生問題をクリアしたお店だけが生き残ることになり、お手頃価格の寿司屋が消え去ってしまいました。

そこから発生してしまったのがスシの敷居が一気に高くなる時代です。

しかし、昭和33年になると回転寿司が開業することになり、再び庶民的なスシが広がることになりました。

この時代から、高級なお寿司とお手軽なお寿司の二極化が進み現代のような状態に変化していくのです。

まとめ

以上、いかがだったでしょうか。

今回はスシについていろいろと情報をまとめていきました。

スシの呼び方が複数あった理由を掘り下げるとかなり面白い情報にたどり着くことが出来ました。

鮓と鮨と寿しと寿司はこういった違いがありますので、小ネタとして違いが説明できるようになるとちょっとした世間話でも盛り上げることが出来るでしょう。

是非とも活用してもらいたい話のネタになっています。

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