様々な料理やおかしの味にもなっているタラコですが、タラコはいつ誰が広めたのでしょうか。
今回はこのタラコについて注目し、いったい日本では誰が広めたのか、いつ頃からタラコ料理は存在していたのかなどの気になる点を色々と調べて参ります。
そもそも、タラコと明太子は違うのか、この部分にも注目していきましょう。
タラコの発祥はどこ?広めた人は誰?
タラコの発祥や広めた人については色々と調べて参りましたが、明確にはわかりませんでした。
ただし、色んな情報やデータを見た限りでは北海道である可能性が高いと思われます。
気になる記述としては、江戸時代中期に活躍した茶人であり医者の遠藤元閑が記した懐石料理の書『茶湯献立指南』にタラコにまつわるお話が記録されています。
その中には『北国より出る名物』という表記があったので、江戸時代よりも以前に北陸地方を中心とした寒い地域ではタラ及びタラコを食べていたと思われます。
ただし、いつ頃から明確に食べられ始めたという記述はなかったので古くから北海道や東北を中心とした北陸地方では食べられていたと思われます。
また、この懐石料理の書『茶湯献立指南』は、北海道や北陸に行って食べたというお話ではなく、江戸近郊で食べたとお話と推測されているので、1700年頃には江戸の街でもタラコが食べられていたと考えられているのです。
実際に北海道ではタラコを名物にしている町や市が多く、たとえばこちらの『日本の郷文化 | 名物 郷の名産物 北海道郷自慢白老町の名産物(http://jpsatobunka.net/meisan/hokkaidou/hokkaidou-35.html)』というサイトをみてみると、北海道の白老町では前浜で獲れた新鮮なスケトウダラを加工したタラコを名物としています。
スケトウダラは日本海や茨城県以北でも獲れる魚ですが、北太平洋で獲れることが多くスケトウダラにおける陸揚げ漁港のランキングはほとんどが北海道となっているのです。
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明太子の発祥及び広めた人は?
明太子が広まったのは日本で辛子明太子屋を創業し福岡県の名物にまでのし上げた、『ふくや』創業者の『川原俊夫氏』でしょう。
この人は釜山生まれでもともと韓国料理に詳しかったのですが、その中の『明卵漬』を日本風にアレンジし明太子として1949年から販売しました。
日本で明太子がどのように広がったのか、なぜ福岡県でここまで明太子が名物になっているのかはこの『川原俊夫氏』がキーパーソンとなっています。
タラコが広まったのはいつ?
タラコの存在は江戸時代中期には確認されましたが、本格的に広まった時期については不明です。
スケトウダラ漁が本格的にスタートしたという記録が残っているのが、1903年にマダラ漁が不信でスケトウダラ漁にシフトしたことからと言われております。
しかしマダラが当たり前のように獲れていた時期は、タラコはスケトウダラの卵巣というよりはマダラの卵巣という認識だったのでしょう。
日本全国にタラコが送り届けられるようになった現代では、見た目があまりよろしくないマダラの卵で作られるタラコはほぼみられなくなり、タラコ=スケトウダラの卵巣となりました。
そして明太子が本格的に広まったのは1960年代と言われています。
明太子が生産され始めたのが『ふくや』が創業した1949年で、そこから味が改良されさらに創業者の川原俊夫氏が製法の特許を取得せず多くの方に広めた結果、1960年代には福岡県一帯が辛子明太子屋が増加しました。
そして1975年に山陽新幹線が博多駅まで繋がったことで福岡県に来る人が増加し、全国的に明太子が広まったと考えられています。
また、創業者の川原俊夫氏が製法の特許を取得せず多くの方に広めたことで明太子を東京にまで進出するお店が誕生し、東京から全国に広まったという考え方もあります。
こうして全国的に明太子が広まったことで土産物としての明太子以外に、百貨店や量販店で通常販売されるようになり、さらにおにぎりやパスタの具材として用いられることが増えてきたためにさらに全国区になります。
めんたいと明太子は何が違うの?
明太子と同じような使われている言葉に『めんたい』があります。
この『めんたい』という言葉と『明太子』の違いを理解するには、明太子という言葉が何から来ているのかを知る必要があります。
まず明太子は朝鮮語から来ており、朝鮮語ではスケトウダラを『明太(ミョンテ)』と呼んでいます。
明太子はこの『明太の子』でこちらは日本語の『子』をくっつけた造語なのですが、朝鮮語から来ているのです。
ここまでの説明でわかると思いますが、めんたいとは『明太』なので本来ならば『スケトウダラ』になります。
ただし今の日本ではこのめんたいという言葉は、ほとんど明太子と同義語として使われているので区別が不可能な状態になっています。
実際に明太子のお店で『辛子めんたい』という商品を売っている事がありますが、これは辛子漬けされているスケトウダラではなく、辛子明太子として売られています。
つまり、本来ならば明太子はスケトウダラの卵巣で明太はスケトウダラそのものという違いがあったのですが、今ではほとんど同じ意味で使われているので気にしなくても良いでしょう。
明太子とタラコは違う?
ここで今までの情報を見ていた方は、明太子とタラコがなんとなく違うということに気がついたと思います。
先に答えを書くと『本来ならば意味が違っていたが、今では解釈が異なっている』となります。
まず、タラコとは『タラの卵巣およびそれを加工した食品』という意味があり、日本でも昔はスケトウダラ卵巣ではなくマダラの卵巣をタラコとして用いていました。
しかし、今では鮮度低下の早さや見た目などからスケトウダラの卵巣がタラコとして用いられているのです。
また、明太子もスケトウダラの卵巣という意味がありましたが、明太子が広まった福岡では辛子明太子として売られることが当たり前だったので、基本的にはタラコを辛子で調理されたものが明太子という認識になっています。
現代日本的には、塩漬けされたスケトウダラの卵巣が『タラコ』で、タラコを唐辛子で調理したのが『明太子』となっているようです。
まとめ
以上、いかがだったでしょうか。
この回はタラコは誰が広めたのか、日本ではいつから広まったのかを解説しました。
明太子の歴史はかなり明確にわかったのですが、タラコの歴史ははっきり言って謎でした。
誰が作り始めたのか、広めたのは誰なのかという情報がほとんどないのです。
しかし、江戸時代にはタラコが食べられていたという記述がありましたので、かなり歴史の古い食べ物であるということはわかりました。
また、明太子とタラコが違うということもなかなかに面白い情報だと思います。
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