もち米を三角形または円錐形にする独特な『ちまき』ですが、このちまきは日本でも古くから存在し今でも愛されています。
そこで、今回はこのちまきの由来や歴史に注目しつつ、自宅で作れるレシピはどのようなモノがあるのかも見ていきましょう。
5月の節句の時期にちまきを食べるという文化の謎にも迫っていきます。
ちまきの歴史や由来はどうなっているの?
ちまきは漢字で書くと『粽』となり、もち米やうるち米を使いイグサなどを使う食品です。
このちまきの発祥の地は中国で、中国の2世紀頃つまり後漢の時代に執筆されたと言われている『風俗通義』や、3世紀頃に書かれたとされる『風土記』に粽というワードが登場しているという衝撃的な情報もあります。
それほど歴史がある食べ物なのです。
このちまきが日本にも伝わったのですが、日本でも奈良時代には伝わっていたという情報も存在しており、日本におけるちまきの歴史も1,000年以上あると考えられています。
色々と資料を探してみましたが、おそらく最も古い日本の書物でちまきらしきモノが登場しているのは、平安時代中期に書かれたと言われている『倭名類聚抄』という書物でしょう。
こちらの書物は931年から938年にかけて編纂されており、その中に『もち米を食物の葉っぱで包んで灰汁で煮込む』という、ちまきの製造方法が記載されていることがわかっております。
これはいわゆる保存食の作ることを目的としていたとされておりますが、江戸時代になると戦がなくなり平和になりました。
そして、戦が目的で作られたモノが、世の中に一気に広まるようになったのです。
そこから家庭でも食べられる調理法の1つになったのだと思われます。
ただし、その広まり方は均一ではなく地方によってだいぶバラバラなので地方独自のちまきというのもかなり存在しております。
ちまきに詳しい方ならば、その人が想像しているちまきを聞くだけでどこ出身なのかがわかってしまうとのことです。
ちなみに、日本のちまきはもち米だけではなく、うるち米や柏餅を使うケースもあり、包む葉っぱはイグサだけではなく、笹の葉っぱやチガヤや竹の皮などバリエーションが豊富です。
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ちまきと中国の故事
ちまきは中国由来と記載しましたが、中国では有名な故事との繋がりのある食べ物なので、故事とセットで覚えている人もいるようです。
中国で最も大きな戦の舞台の一つになった春秋戦国時代に『楚』という国がありました。
この楚に『屈原』という有名な詩人がいて、この人は王様の側近でもあったのです。
多くの人達に愛された屈原でしたが、王の側近という立場もあったからなのか、一部の人間の陰謀によって追放されてしまい、川に飛び込んで死亡してしまいます。
この命日が5月5日だったのです。
屈原の死に悲しんだ民衆は5月5日に供養のために、川にお米を流し魚に遺体を食べられないようにしていたのです。
しかし、そのまま流すと川に居着いていた龍に横取りされてしまうので、横取りされないように、龍が苦手としていた植物や糸を使ってお米を縛って川に流すという風習に変わったのです。
なぜ5月の節句にちまきを食べるの?
中国国内で端午の節句にちまきを食べる理由は先ほど記載した『屈原』の故事と関係しています。
はたして日本でもこの故事と関係しているのでしょうか。
こちらも色々と調べて見ましたが、中国の故事に習って日本にも伝わりそのまま日本に浸透したという説が濃厚のようです。
端午の節句や桃の節句といった節句は、元々厄災や病気を祓うための宮中行事であったのですが、いつしかそれらが一般公開されることで民衆にも広まり親しまれるようになりました。
ただし、使う米や葉っぱは地方独自の特徴が出ているので、そこは日本式の特徴が出ていると言えるでしょう。
たとえば柏の葉っぱを使う地域もありますが、柏の葉っぱは新芽が出ないと古い葉っぱがなかなか落ちないという特徴がありました。
そこから『子供が生まれるまで親は死ぬことはない縁起の良い葉っぱ』という扱いをされているから重宝されていたとのことです。
命のやりとりが当たり前だった戦国時代は様々な願掛けを行っており、その名残が今でも見受けられるようになっています。
当時の味は今と同じだったのだろうか?
由来や歴史を調べて見た結果、昔の作り方などが色々と判明しましたが、今と変わらない部分もかなりありましたので、味は昔も今もそこまで大きくは変わっていないと思われます。
ただし、地方によって材料が異なっている事も多いので、昔と今の味の違いを調べるのは困難でも場所による味の違いを知ることは容易となっています。
ちまきの作り方は?
ちまきの作り方はネット上で検索するとものすごい数がヒットしますが、その中でも個人的にわかりやすかったのが、クラシルにある『本格派 もちもち中華ちまき 作り方・レシピ(https://www.kurashiru.com/recipes/36e78464-2f80-43c1-876d-361dc1b43e11)』というレシピです。
材料はもち米・醤油・干しエビ・水・サラダ油・チャーシュー・竹の子の水煮・にんじん・干し椎茸・紹興酒・砂糖・オイスターソース・ごま油・ウズラの卵の水煮・竹皮で、もち米を使っているタイプのちまきです。
サイト内では動画を用いて、どのように調理しているのかも簡易的に紹介しているので、ちまきを作ろうと思っている方はまず動画を見てもらいたいと思います。
他にもキッコーマンのサイトにある『中華ちまきのレシピ・つくり方(https://www.kikkoman.co.jp/homecook/search/recipe/00001414/index.html)』というページでは、中華風のちまきの作り方を紹介しているので、一風変わったちまきを堪能したい方におすすめとなっています。
ただし、こちらのレシピ紹介は文字だけなのでちまき作りに慣れた人がチャレンジしたほうがいいでしょう。
鹿児島県の『あくまき』との違いは?
鹿児島県の風土料理の一つに『あくまき』と呼ばれるモノがあります。
ちまきに近い部分もありますが、大きな違いはその形や立ち位置でしょう。
ちまきはもち米を三角形や円錐形にしますが、あくまきは長く500mlのペットボトル程度の大きさがあります。
あくまき全体がタケノコの皮で包まれていて密着しており、空気と触れにくい作りになっていて、保存が常温で10日間くらい可能なことも特徴です。
また、ちまきはもち米を使っているため主食として食べられることも多いのですが、あくまきは完全に和菓子に近い存在であり立ち位置も異なるのです。
あくまきは、一口サイズに切り分けてきな粉と砂糖をかけて食べるのが主流です。
ちまきは椎茸やお肉などが具材に入っているのでご飯として食べられますが、あくまきはそのような具材は入っていません。
ちなみに、このあくまきは鹿児島県や宮崎県や熊本県で端午の節句の時期に作られています。
食べたことがあるという方は、わらび餅やくず餅をより粘りけを強くしたモノという印象を抱くようです。
まとめ
以上、いかがだったでしょうか。
今回はちまきの歴史や発祥の地や、5月5日に食べられることが多いちまきについての情報をまとめました。
ちまきが食べられるようになった理由は中国の故事由来であること、そしてその文化が今でも根付いているということが、かなりインパクトのある情報でした。
また、ちまきは地方ごとにスタイルがだいぶ異なっています。
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