昔は使っていたけど現代になって使わなくなってしまった言葉はいろいろとありますが、その中の一つに松の内と呼ばれるものがあります。
今回はこの松の内の意味や語源や由来を紹介し、その時期が関東や関西では違う理由や松の内のタイミングでやってはいけないことについてもお伝えさせていただきます。
現代日本人でも絶対意識するイベントと関係しているのが松の内ですので、覚えておくと知識を披露できる場に必ず遭遇できるでしょう。
松の内の意味とは?
松の内とは簡単に記載すると『門松といった松飾がある期間』すなわち『お正月の期間』という意味です。
期間や意味や由来について詳しくは後述しますが、門松や鏡餅といった飾り物は元は豊穣の神様である年神様を招き入れるためのものであるので、その神様が滞在する期間が松の内という意味になるのです。
門松はこの年神様が来訪するときの目印で、鏡餅が年神様の依り代として宿ってくださる場所となっております。
ちなみに、この年神様が宿った鏡餅を食すると神様の力をおすそ分けしてもらえるということで、健康祈願や豊作祈願といった効果を発揮するといわれておりました。
もともと松の内の期間設置される鏡餅は食べるときにかなり固くなっているので、歯固めの儀にも用いられていたようです。
いわゆる硬いものを食べることで、歯が丈夫になって健康につながるという考え方になります。
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松の内の語源と由来は?
松の内の語源や由来は先ほど軽く説明したように、『門松などの松飾をして年神様に来ていただいて滞在している期間』からきています。
『松竹梅』の3つはもともと健康長寿といった良い意味の象徴なのですが、その中で特に松には『神を待つ』という意味があるので、1年の中でも大きな祈願を持って行動すべき三が日にもってこいの一品だったのです。
そのため、門松は『年神様を待ち迎え入れるための目印』という役目があるといわれるようになりました。
梅は江戸時代から象徴となり、竹は室町時代から象徴となりましたが、最高峰の松は平安時代から象徴となっており、古くから日本における神聖な常緑樹で『長寿の象徴』や『不老浮腫の象徴』として扱われていたのです。
そのため、日本の祭事や神事では松が使われたり名前として入っていることが多く、有名なものでは国宝大崎八幡宮などで行われる『松焚祭(まつたきまつり)』があります。
名前でピンとこない人は、『左義長(さぎちょう)』や『どんど焼き』と呼ばれるものと一緒です。
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時期はいつからいつまで?
松の内の時期は厳密には、12月13日から1月7日か15日といわれております。
いわゆるお正月に向けて準備をする機関が、12月13日から31日までが飾る期間で、1月1日から7日または15日が飾っている期間といえるでしょう。
ただし、お正月飾りといった昔の風習は縁起をとにかく大切にするので、縁起が悪いタイミングで飾るのはNGとなっています。
年度末でNGとされているタイミングは、『二重苦』とか『苦立て』という意味を連想される29日と『一夜かざり』で縁起が悪いといわれている31日です。
なので13日から31日までと言っていますが、そこに含まれている29日と31日は排除したほうがいいでしょう。
個人的な感想ですが、早すぎるとクリスマス期間に門松を飾ることになりますのでそれはそれで違和感が強くなります。
なので、一般的にはクリスマスが終わってから年を越える前、つまり26・27・28・30日に飾ることになるでしょう。
日本はいろいろと文化的にミックスされている状況なので、クリスマスもかなり盛大にやる傾向にあり、和風のお正月飾りとセットにしてしまうのは見た目的によろしくありません。
クリスマス期間中に門松の設置をするのは辞めましょう。
家の中に用意する程度ならば問題はないでしょうが、玄関に門松があると違和感がかなり強くなってしまいます。
このようにクリスマスの準備もする人たちがお正月の準備をすると、かなりバタバタしてしまいますので、ある程度は余裕を持って行動するといいでしょう。
関東と関西で時期が違うのは本当?
関東地方と関西地方では松の内の時期がずれているというお話がありますが、厳密には『徳川幕府の通たちがいきわたった地方とそれ以外』で分けることができます。
その違いとして、関東地方では1月1日から7日までが松の内で関西地方では15日までが松の内となっているのです。
なぜこうなったのか詳しくは後述しますが、江戸に近いほうか江戸との関係が強かったところほど松の内が7日までとなっており、江戸とは異なるところか離れているところは15日になっている傾向にあるようです。
松の内の時期が違う理由は?
もともと、松の内は1月1日から15日だったのですが、江戸幕府により1月7日が飾り納めの日に変更されたのです。
この1月15日までというのは小正月までという意味があり、15日に行うどんど焼きで松飾を焼くという行事を行うのが一般的でした。
そして1月20日を鏡開きとしてお餅を食べるのです。
このように徳川幕府が変更した理由にはいくつかの説があります。
その一つが、徳川3代将軍である家光公が4月20日に亡くなったことで、毎月20日を月命日としたことと関係しているというものです。
すると鏡開きを行うタイミングと月命日が完全にかぶってしまいますので、タイミングをずらして11日に鏡開きを行うようにしました。
しかし、年神様を招き入れる松の内はずらしていなかったので、『松の内の期間で松飾を下げるのは失礼にあたる』という声が多数出てきたのです。
その結果1662年には1月7日を飾り納めにするという御触書がなされて、松の内の期間も完全に短くされます。
そして幕府の影響力が強い関東などでは、1月7日までを松の内にするといって、そのまま受け入れたのです。
しかし影響力がそこまで及んでいない地方は、今まで通り15日のままにして放置されたといわれております。
もう一つは、1657年の1月18日に発生した大火事の一つ『明暦の大火』によって、江戸が燃え尽きてしまったことが関係しているという説です。
この火事が大きくなってしまった原因の一つに『燃えやすい松飾が大量にあったこと』が取り上げられ、二度と大きな火災にしないように住宅が密集している江戸では、松の内を短くしたというお話があります。
この考え方が関東地方では広まったが、関西地方では広まらなかったので松の内の期間が異なるようになったと考えられているのです。
松の内の期間にしてはいけないこと
松の内のタイミングでやってはいけないことは、門松などの松飾の処分方法のミスです。
不要となった松飾は家庭で処分するときは、必ず塩をふってから紙に包んで燃えるごみとして据えてください。
できれば、毎年1月15日で行われているどんど焼きに参加して、不要となった松飾を燃やしてもらうといいでしょう。
個人的にも燃えるごみに捨てるのは忍びないので、時間がかあれば必ずどんど焼きで燃やすようにしています。
まとめ
今回は松の内についての情報をまとめてまいりました。
松の内に使う松飾はかなり早いタイミングで売られていますが、クリスマスと被ってしまうことすらありますので、クリスマス期間中は本当に避けてください。
洋風気分の街並みの中で、門松がドンと置いてある家を見ると悪い意味でかなり目立ちます。
ちょっとしたイベントの前倒しと考えることもできますが、やはり景観を考えるとインパクトがすごいので、ごちゃまぜにならないようにしましょう。
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