社会人ラグビー新日鉄釜石全盛期について。なぜあんなに強かったのか?

ラグビーワールドカップから一気に日本国内での注目度が上昇しましたが、スクールウォーズを生で見てきた人達にとってはこの熱を懐かしいとすら感じていることでしょう。

今回はそんな人達にとって語り草となっている社会人ラグビー新日鉄釜石全盛期についてお話しします。

新日鉄釜石はなぜあそこまで無類の強さを誇っていたのでしょうか。

当時の釜石の時代背景を追いかけるのと一緒に見ていきましょう。

スポンサーリンク

新日鉄釜石は強かったの?

新日鉄釜石は昔とても強い時代がありました。

最強と言われていた時代は1977年日本選手権で初優勝し、1979年から7連覇をしていた時期です。

要するに1970年代後半から1980年代の新日鉄釜石が最強であり、多くの方々にとって目に焼き付いていた時代とも言えます。

彼らが英雄だったのは今から約40年ほど前となりますので、子供の頃に見ていた人も40代後半になるでしょう。

要するに年齢が40代後半以降の人達が直撃世代となるので、それよりも若い人達にとっては過去の英雄といった扱いになってしまいます。

また、時代背景とあわさって今と劣らないぐらいのラグビー最盛期でもあったので、多くの方々にとってのヒーロー的な立ち位置にありました。

特に岩手県釜石市に拠点を置くチームなので、東北にゆかりがある方々にとっては間違いなくヒーローだったのでしょう。

『スクール☆ウォーズ』と重なったのが大きい

スクール☆ウォーズ』は、1984年10月6日から1985年4月6日までTBS系列で放送されていたテレビドラマで、当時大人気になったドラマでもあります。

高校ラグビーではあまりにも弱すぎるチームが、一人の熱血教師が来たことで徐々に強くなって最終的には全国優勝をするという物語なのですが、キャラクターの良さやそのストーリーから大人気になりラグビー人気の拍車をかけました。

新日鉄釜石が大活躍していた時期が1970年代後半から1980年代なのでまさに被っており、人気になったラグビーでとりあえず見てみようと思ったチームとして、新日鉄釜石や神戸製鋼を応援する人が増えたのです。

実際にこのドラマの影響で1985年に高校ラグビー部の入部希望者数が急激の増加し、その後にプロになった方々もこのドラマを見たからラグビーを始めたという人が続出します。

なぜそこまで強かったの?

なぜ新日鉄釜石が強いチームだったのかは諸説ありますが、筆者は下記の3つが大きな要因となっていると思っています。

①80年代の円高や70年代のオイルショックによる弊害が発生するまで、鉄鋼業そのものが好調であり釜石市も栄えたからです。
②新日鉄釜石そのものが、会社所属のラグビーチームに対して協力的だったからでしょう。
③会社が協力的だったことを理解したチームのメンバーが感謝の気持ちを強く持ち、絶え間ない努力をし続けたからです。

この3つが上手い具合に作用したことで、当時のラグビーを代表とする松尾雄治・洞口孝治・森重隆・千田美智仁などの選手が所属し、成長しました。

会社の人達も協力的だったのも大きいのですが、地元の人達が心の底から応援することができる愛するチームへと成長したのも大きいと思います。

この愛するチームという存在になれたことが、今でも大きな影響をもたらし続けています。

しかし、この歯車のどれか1つでも狂ってしまうことでチームが存続の危機となり、弱体化の一途をたどる事になります。

実際にチームが下り坂になってしまった理由が70年代のオイルショックと80年代の円高です。

その結果、日本経済そのものの競争力低下し、鉄鋼需要も急激に減少、90年代にはバブル崩壊もセットとなって製鉄所そのものが閉鎖となるケースが相次ぐのです。

新日鉄釜石もこの流れに逆らうことができずに1989年には最後の高炉も廃炉になってしまいました。

1992年には全国社会人ラグビー大会への出場もできずに2000年には社内運動部の単独運営がストップしてしまいます。

現在はどうなっている?

2000年には新日鉄本社が社内運動部の単独運営をやめてしまい、事実上の社会人チームとしての新日鉄釜石は消滅することになりました。

しかし、2001年には地元企業の資金援助によって新日鉄釜石のチームではなく、Jリーグでよくあるクラブチーム化に踏み切るのです。

その結果『釜石シーウェイブスRFC』として活動を本格的に開始します。

単一企業のチームしか社会人リーグに参加することができなかったのですが、釜石市市民がこのチームを心の底から愛した地元のチームだったために出場のために色々と奔走します。

その中でも大きかったのが私設応援団による署名活動でしょう。

この署名嘆願による規約変更依頼を日本ラグビー協会が受け取った結果、規約が変更されクラブチームでもラグビーの社会人大会に参加することができるようになったのです。

さらに、2003年にはラグビーのトップリーグである『ジャパンラグビートップリーグ』が発足されたことで、このトップリーグに所属するために奮闘するチームになりますが、2003年にトップリーグ昇格を早々に果たしています。

震災と人との繋がりと

1970年代から街を代表するチームだった新日鉄釜石は街の人達の熱意によってクラブチーム化したチームでもあります。

昔のような華々しい成績を残せなくても愛されるチームであることは変わりなく、その姿をより象徴するキッカケとなったのが東日本大震災でしょう。

この震災により岩手県も壊滅的な被害を受けることになり、チーム関係者の安否が不明になるなどチームにも大きな影響が出ていました。

一時期は活動を休止し、復興支援のためにボランティア活動などを積極的に行った釜石シーウェイブスの姿に地元の人達は大きく勇気づけられます。

さらに大きかったのが日本で行われたラグビーワールドカップです。

このラグビーワールドカップもサッカーのワールドカップと一緒で誘致活動が行われるのですが、既存のスタジアムがない状態にもかかわらず、立候補し開催地として釜石市が選ばれました。

これも釜石市の人達が、震災復興の促進のためにも活動すべきであると動いた結果、釜石市の人達が市長に招致を強く要望し、反対する人達も熱心に説得することで街が一丸となって行動することになります。

その結果、鵜住居復興スタジアムが新設され、2019年9月25日にウルグアイとフィジーの試合が行われたのです。

まとめ

以上、いかがだったでしょうか。

今回は全盛期は最強と名高いチームだった新日鉄釜石について色々とご紹介しました。

強かった理由を探ってみましたが、やはり社会情勢的に鉄鋼業が盛り上がっていたことと、その盛り上がりによって街そのものも盛り上がっていたことが大きいでしょう。

その影響からか街の人達は社会人チームに対して非常に協力的で、会社そのものも色々と味方してくれていたのも大きいと思います。

理解者が多くいる場所、協力者が多い環境、努力を惜しまない人達で形成されたチームはやはり強いのです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました