毎年12月に京都で全国高等学校駅伝競走大会が行われています。
こちらは全国高等学校総合体育大会の一つでもあり、ここで活躍した選手は後に飛躍することも多く注目度もかなり高い大会となっています。
今回は、この全国高等学校総合体育大会における男子日本記録の歴史をいろいろとみてきましょう。
昭和から令和までの日本記録の歴史
こちらの表は歴代の全国高校駅伝における優勝タイムです。
昭和は1989年までなので、そこで区切っています。
この表を見るとわかってくることは昭和の時代でタイムが2時間18分から、2時間4分までタイムが縮まり、平成や令和でも2時間切りは達成しておらず早くても2時間1分台なので3分程度しか縮まっていないということです。
これはかなり面白いデータであり、タイム的な限界がいろいろと見えてきているとも言えるでしょう。
それでも平成に入ってからは遅くても6分台で平成の後半以降は優勝校はほとんどが1分台か2分台になっているので、かなり高速化していることがわかります。
これ以上の変化となるといろいろと厳しいところがあると思いますので、人の進化以外の何かが求められるのではないでしょうか。
関連記事
歴代記録順位についてのおさらい
参考資料
こちらは『全国高校駅伝:[男子] 全国大会における歴代総合記録ベスト10』のサイトにわかりやすく記載してありますので、そちらを参照しています。
このサイトは全国高校駅伝に関する情報をいろいろとまとめアップしている公式サイトなので、駅伝にまつわるデータを見るのに一番参考になるサイトでもあるのです。
ただし、2022年のデータが入っていないのでそこは注意してください。
2022年の記録は2時間1分10秒なので最高記録であり、記録したのは岡山県の倉敷高校です。
これらの情報からもわかるように、ギリギリで2時間が切れていません。
フルマラソンの男子でも2時間切りが目標とされていますが、高校駅伝でも2時間切りが最終も句法となってきそうです。
留学生について
高校駅伝でいい意味でも悪い意味でも注目されてしまうのが留学生です。
この留学生が初めて走ったのは、宮城県の仙台育英が1992年にケニア人留学生で用いた時からと言われております。
初めて都大路に登場した1992年の翌年には男女ともに2人ずつの留学生を採用して、見事に仙台育英が優勝しました。
史上初のアベック優勝です。
しかし、この留学生がはっきり言って無双状態にあり、日本人が手も足も出ないタイムをたたき出してしまったので、94年の理事会で加盟競技の高校総体への留学生の出場枠を明確に絞りました。
その制限は『エントリー数の20%前後とする』というものであり、駅伝ではエントリーが2人までで出場者は1人となったのです。
その結果、一番長くてつらいと言われている1区で留学生の起用がひたすら続きました。
この1区を走る日本人はいたのですが、はっきり言ってボロ負け状態であり手も足も出ていません。
その結果、さらにルールを改定して1区では留学生が走ってはいけないとされ、2008年から規制されるようになったのです。
今では2番目に長い3区に留学生を用いたり、先行逃げ切りを達成するために2区に配置するといった起用法が主体となっているようです。
1区の留学生はそこまで無双していたの?
無双状態にあったというお話をしましたが、これは今の記録を見ても明らかです。
こちらの『全国高校駅伝 | 男子1区歴代記録ランキング | 陸上競技 | YGO-JAPAN』というサイトに、1区限定の歴代記録が並んでいるのですが、歴代記録の1位から14位までが留学生です。
参考資料
しかも歴代1位のタイムが1995年にギタヒ氏が達成した27分48秒であり、2019年に日本人記録を達成した佐藤一世氏タイムが28分48秒なので、1分も差があります。
20年以上の開きがあるのにこのタイム差なので、日本人のタイムと留学生のタイムがどれだけ離れているのかがはっきりとわかってしまいます。
ここまで無双されてしまったのでは規制されてしまうのもしょうがないのかもしれません。
今後の記録の予測について
それでは最後にこのタイムがどのように変化していくのかを予測していきましょう。
これは正直意見がかなり分かれているので、それぞれの意見で納得できる部分を抜き取る形で見ていきましょう。
2時間を切る時代にすぐにでも突入するという意見
これは人の進化よりも物の進化の部分に期待して出てくることが多い意見です。
今の最速タイムが2時間1分10秒ですが、これを1分10秒短くする必要があります。
これはすでに前例があり、男子フルマラソンがナイキの厚底シューズの登場によって劇的にタイムが更新されました。
今まで2時間2分台だった記録が2時間1分台に突入し、このナイキ厚底シューズ登場で1分近くタイムが縮まったのです。
薄底シューズこそが大正義という時代だったのに、突如登場した厚底シューズによって各種シューズメーカーの根底をひっくり返し、記録も瞬く間に塗り替えてしまったのです。
しかし、あまりにもやり過ぎて記録を更新しまくったせいで、世界陸連が厚底シューズに規制を設けることになってしまいました。
こういった靴が登場しているので、それらを着用した今の高校生が今までの記録と同じぐらいの速度で走ることができれば必然的に2時間は切れるという考え方です。
これは個人的にもかなり納得できる部分なので、あり得る未来だと思っています。
停滞するからしばらく2時間切りの記録は出ないという意見
昔と比べるとタイムを短縮するスピードがかなり鈍化しているので、2時間切りはある程度時間がかかるという意見もあります。
たしかに、昭和の時代は1952年の2時間18分42秒から最終的には1989年の2時間4分49秒と14分も短縮できています。
しかし、平成から令和の時代はこの2時間4分49秒から3分39秒しか短縮で規定なのです。
そのため、ここからタイムをさらに短くするのはいろいろと積み上げて少しずつ削っていく作業になっていくという予想がされており、最低でも5年はかかると指摘しています。
これも納得できる部分があるので、今すぐに2時間切りの世界に突入するのは難しいのかもしれません。
区間新を足すと2時間切れる?
最後に気になる部分を見ていきましょう。
ズバリ、全部の区間新の記録を足せば2時間が切れるかどうかというお話です。
ではその記録を見ていきましょう。
区間新のデータをそれぞれ引っ張ってきました。
この区間新を単純に足すと1時間57分13秒と余裕で2時間を切ります。
しかし、問題なのは記録しているのが留学生というケースが多いことです。
距離が長い区間はほとんどが留学生の記録となります。
今のルールでは本大会で1人しか留学生が走れないのでこの全部区間新ペースで走るというのは難しいでしょう。
まとめ
以上、いかがだったでしょうか。
今回は高校駅伝の記録についていろいろとチェックしてきました。
留学生が無双しすぎていた時代があったので、いろいろと規制が発生したのはわかります。
そのため、走れる人数や区間が制限されており、それが原因で2時間切りはちょっと難しいという指摘もあるのは事実です。
しかし、少しずつでもタイムは縮まっているので、いずれは2時間切りも達成できると思います。
コメント