鬼瓦(おにがわら)という言葉は、お笑い芸人で一世を風靡した『オードリー』の持ちネタなので、そのインパクトからよく覚えているという方もいるでしょう。
今回はこの鬼瓦とはそもそもどのような存在なのか、歴史や由来や役割について詳しく解説してまいります。
昨今の日本ではなかなか見ることが少なくなった、あの鬼の形相の瓦はいったいどこに行ってしまったのでしょうか。
そもそも鬼瓦とは何?
『鬼瓦』の本来の意味は、建築物の頂上部分に設置される板状の瓦の総称になります。
鬼の装飾が施されているものが有名で、『鬼の顔が描かれている瓦』と思われてしまいがちですが、棟の末端に取り付ける装飾瓦の総称なので、間違えないようにしましょう。
鬼瓦の起源は?
鬼瓦の起源は諸説ありますが、最も有力視されているのがギリシャ神話で有名な、『メドゥーサ』が入口の上に設置されるようになった古代シリアの文明からといわれております。
この文化や風習が世界全土に広がって、日本ではメデューサではなく『鬼』が用いられるように変化したのでしょう。
共通しているのが、人間では勝つことが難しい恐ろしい存在を設置するという考え方です。
あえて恐ろしいものを設置することで、人間にとっての厄を近寄らせないようにするという考え方は、世界共通であるということがわかりますので、これはこれで面白い情報と言えます。
鬼瓦の場所についてわかりやすく教えて!
(参考URL:https://www.100percent.co.jp/sumai/kouza_view/4)
文字にして解説するとかなりわかりにくいので、図にして解説しているものを引用します。
こちらは『瓦葺の構造と瓦漆喰の重要性』ちょっと本格的なDIY講座|100%自然素材主義というサイトに記載されている屋根の設置図面です。
鬼瓦がどこにあるのかもはっきりとわかるようになっているのです。
このように瓦の端っこの部分にある特殊な瓦が『鬼瓦』と覚えておくといいでしょう。
ただし、ものすごく種類がたくさんあるので、見た目で覚えるのではなく位置関係で覚えたほうがいいです。
鬼瓦の種類を教えて!
(参考URL:http://kawarak.sakura.ne.jp/zukan.html)
鬼瓦には非常に多くの種類があります。
とりあえずどんなものがみたいという方は『瓦の図鑑』というサイトにある、鬼瓦のバリエーションをいろいろと見ていただきたいです。
ここで紹介しているものがすべてではありませんが、どんなものが存在しているのかを知るためには非常に役立つ資料となっています。
見てもらうとわかるように、鬼の顔をいろんなバリエーションで変化させているパターンや、とってもシンプルでわかりやすいものもあり、ある意味なんでもありな状態なのがこの鬼瓦なのです。
人によっては名前まではいっている鬼瓦を用いているので、これはもはや建築を依頼した人や建築する人の好みになってしまうかもしれません。
鬼瓦の役割や意味について
鬼瓦を設置する部分は屋根の端っこであり、ここは屋根の中に雨が侵入しないようにするための蓋をする部分でもあります。
そのため、鬼瓦には雨が入らないようにするための『雨仕舞い』の役割があるのです。
そして、あのように目立つ装飾を施す理由は『魔除けや厄除け』となっております。
鬼が彫られている理由もシンプルで、『鬼が災厄を追い払う』とか『鬼を味方につけて邪気を祓う』という意味があります。
怖い魔物扱いされてきた鬼を味方にすれば、何も怖くないというアピールでもあるでしょう。
また、鬼ではなく七福神などの神々や縁起の良い亀や鶴を彫って縁起の良いものにしたり、火事を防ぐという意味を持たせるために水や雨をイメージしやすい鯱や菊水や波を彫るケースもあります。
魔除けや厄除けという意味もありますが、彫るモノによっても意味が大きく変わるので、狙っている事象を引き起こしたいという人にとっての扱いやすいパーツでもあると言えます。
ただし、装飾に拘り過ぎると値段もそれにつられて高くなるので、願掛けも特にしないでシンプルな鬼瓦で終わらせるという人も現代日本では増えています。
鬼瓦の歴史と現在について
日本で鬼瓦の歴史が明確に始まったとされているのは飛鳥時代です。
というのも、飛鳥時代に奈良法隆寺の寺院跡から、なんと蓮華文鬼瓦が発掘されており、この時代には装飾が施されていた鬼瓦があったことがわかっております。
今後もっと発掘が進んで、これよりも古い時代のものが見つかれば話は変わってきますが、2020年9月現在ではこの飛鳥時代にあったとされる蓮華文鬼瓦が日本では最も古い鬼瓦と考えられています。
本格的に鬼を用いた鬼瓦が登場するのは、武士同士の戦いが激しくなってくる室町時代からです。
室町時代になると、武将を筆頭に縁起が良いものや恐怖の対象とされるもの、畏怖の扱いをされるものが重宝されるようになり、いかついものもいろいろと使われるようになってくるのです。
その一環で非常にいかつくごっつい鬼が用いられた鬼瓦が、頻繁に登場するようになります。
この鬼を使った鬼瓦が有名になったのは、法隆寺の瓦大工である橘国重が近畿地方で流行させたのが始まりとされております。
一気に流行した鬼を使った鬼瓦は、戦がなくなった江戸時代にも続きました。
江戸時代になると一般庶民でも火災対策として、瓦葺き屋根が使われるようになったために、流行していた鬼の鬼瓦が取り入られるようになったのです。
当時の日本で瓦葺き屋根の家があったら、ほとんどが鬼の鬼瓦があったとされています。
科学技術が発展していない時代では、妖怪や怪異や陰陽術などが信じられていた時代なので、厄除けや魔除けといった考え方も非常に重要視されており、鬼瓦も重宝されていたのでしょう。
ただし、時代が進むにつれてこの鬼を使った鬼瓦は、『入る人をにらみつけている』とか『眼光が鋭すぎて家に合わない』とか『近所から不評』といった意見が目立つようになったので、鬼を使った鬼瓦は一気に衰退します。
また、鬼の面を使った鬼瓦はかなり拘った建築になってしまうので、シンプルな鬼瓦と比べると価格的にもとっても高いというのもネックでした。
こういった流れから、現代日本で見たことがある鬼瓦というのは、江戸時代以前から残っている建築物がほとんどでしょう。
現在では『七福神』とか『鶴』とか『亀』といった縁起の良いものや、願いを込めた鬼瓦が主流となっており、鬼を使った鬼瓦が新たに誕生することは少なくなっているのです。
まとめ
以上、いかがだったでしょうか。
今回は日本の建築文化の一つとも言える『鬼瓦』の歴史や現状について詳しく解説しました。
オードリーの春日がギャグとして用いていたあの鬼の面をしている鬼瓦は、今の日本の風潮や考え方と合わないために、どんどんと少なくなっているということがわかってしまいました。
確かに筆者の家のそばにある瓦屋根の家でも、あのいかつい鬼の面をしている鬼瓦は見たことありません。
スマートフォンやiPhoneのアプリである、ポケモンGOやドラクエウォークといった歩くことがゲームと連動している作品をやっている人は、それらを起動して民家の瓦を見て歩くと面白いかもしれませんね。
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