海外で日本のアニメや漫画がブームになっているのはもはや有名なことですが、そういったブームが来る前にアメリカを中心に圧倒的に人気な存在となっていたのが『忍者(NINJA)』です。
今回はどうしてここまで圧倒的に忍者が海外で有名になったのかをいろいろとご紹介いたします。
漫画の『ナルト』がブームになったことにもつながっているお話なので、『ナルト』好きの方には興味深いお話ですよ。
海外で忍者人気が出た理由を50年以上前の情報から考察する
いろいろと理由はありますが、一言でまとめると『1981年のとある映画で爆発的に知名度が広がり、その年に出た小説でもさらに広がったから』となるでしょう。
今回はその理由をできる限り追いかけたいので、ブームになる前のお話もいろいろとしていきます。
1950年から1970年まで
アメリカを中心に世界で日本の侍や忍者という存在に注目が集まったのは1950年代からと言われています。
その理由は1954年に公開された今でも最高峰の映画の一つと言われている黒澤明監督の『七人の侍』です。
三船敏郎氏を主役に配したこちらの映画は、日本だけではなく海外にも圧倒的な影響をもたらしており、そこで日本の時代劇や侍という存在が周知のものとなりました。
戦国時代や侍を知られたということが大きいのです。
その後、日本では山本薩夫監督による『忍びの者』という映画が1962年に公開され忍者ブームが到来したという情報があります。
ただし、こちらの忍者はとにかく当時の忍者をできる限り再現した作品だったので、いわゆる『術』を使うシーンは存在せずリアリズムを追求した作品になりました。
その結果、日本国内向けの映画で忍者関連の作品が大量に出てくるようになり、国内忍者ブームを生む流れになったのです。
しかし、これらの映画は海外ではそこまでヒットせず、侍ものや時代劇ものと言ったらまだまだ『七人の侍』からの知識が優先されていました。
1970年から1990年まで
この時代が海外で忍者ブームが爆発した時代です。
その背景にはいくつかの複合的な要因が絡み合っていますが、その中でも最も大きな理由が『ブルース・リーの大ヒット』にあるとされています。
『忍者とブルース・リーは全く関係ないでしょ!』と思われる方が多いでしょうが、下記のように続きます。
ブルース・リーの過去についてここでは細かく解説しませんが、彼は1966年の『グリーン・ホーネット』というアメリカのテレビドラマで、日系アメリカ人の準主役級キャラクターを演じて一気に有名になります。
その後、格闘映画大好きな人ならば絶対知っている『ドラゴン危機一発』や『ドラゴン怒りの鉄拳』や『燃えよドラゴン』などの映画が次々と公開されてこれが全部ヒットします。
これらの映画がヒットしたことで発生した流れが、『アクション映画ブーム』と『アジア圏の武道ブーム』です。
ブルース・リーは主に截拳道(ジークンドー)を極めていた事で有名ですが、その圧倒的な個人部力にアメリカ人が心酔したのです。
1973年7月20日に32歳の若さで亡くなってしまいましたが、このブームは残り続けます。
そんなブームが消えていない1981年に、『燃えよNINJA(Enter the Ninja)』という忍者を主体として、ショー・コスギが登場したアクション映画が登場します。
これはどうも原題のタイトルを『燃えよドラゴン』ととっても似せたタイトルにしている、どう考えても意識して似せた作品であり、当時ブルース・リーが作ったブームにできる限り乗っかる形で出てきたようです。
この映画はとにかく戦国時代の陰として暗躍する忍者ではなく、『忍者の技術と身体能力を全面的に押し出してド派手に戦いまくるNINJA』として描かれています。
日本人の方ならよく知っている暗殺や諜報を軸にした忍者ではなく、特殊部隊のような身体能力と技術を持っている忍べるけど忍ばないNINJAの誕生です。
この映画に過去の『七人の侍』の戦国時代の知識が合算して、NINJA概念ができたとも言われています。
こちらの映画はいわゆる主人公が巨悪を倒す勧善懲悪ものとなっており、完全なヒーロー作品に仕上がっています。
つまり『NINJA』は『ヒーロー的な存在』となってしまったのです。
1981年はこの映画が大ヒットしたことで、『NINJA』の知名度がびっくりするぐらい向上し、さらにこの年にはアメリカ国内で大ヒットした小説の『The NINJA』が誕生し、さらにさらに広まります。
こちらの小説の中身を意訳しつつざっくりと紹介してしまうと、『忍者の技術と身体能力を持つ主人公が悪の忍者や殺し屋と戦う物語』となっており、こちらもいわゆる『NINJA』ものです。
どちらかというと闇の中で戦っているのでまだ忍者に近いと思います。
この2つの誕生によって爆発的なNINJAブームがアメリカを中心とした海外で発生し、その流れで様々な雑誌や関連ゲームが登場します。
その中でも有名なのは1984年に登場した『ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ』で、この作品によって小さな子供達にも『NINJA』という存在が一気に浸透します。
1990年から現代まで
1980年に爆発的な『NINJA』ブームが発生したことで、それ以降『NINJA』という言葉はアメリカでは当たり前のように使われるようになり、『それってNINJAみたい!』といった会話が一般的に使われるレベルになります。
さらに『NINJA』の普及に一役買ったと言われているのが、日本では『SASUKE』として放送されているものをアメリカに持ち込み、タイトルを『Ninja Warrior』としたことでしょう。
これはアメリカでもかなり人気の番組だったので、さらに『NINJA』概念が浸透したと言われています。
こんな状態で海外でびっくりするぐらいヒットした漫画やアニメの『ナルト』が登場したので、『NINJA』という存在は不滅なものとなってしまいました。
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気になる忍者の話題やツイートもチェック
次は忍者に関するちょっと面白い情報を気になるツイートを交えながら見ていきましょう。
突っ込みどころ満載のものも結構あるので笑っていってください。
これ何の映画!?
こないだ、海外ではサメ→カブトガニの交代があったのに、忍者がサメと戦っとる🤣 pic.twitter.com/b9VPeROwWW
— キトリシバ (@torikumania) April 1, 2023
海外のB級映画はいろいろとぶっ飛んでいると話題になることが多いですが、その中でもとびきりの作品を見つけてしまいました。
どうやら忍者がサメと戦う映画のようです。
この画像を見たときに筆者はつい『どういうことなの・・・?』と頭がバグってしまいましたが、こんな作品が世に送り出されるレベルでNINJAが愛されているのは面白い情報と言えるでしょう。
忍者体験会はやっぱり海外人気あり
春休み中という事もあり
海外ゲストや日本の方も勿論忍者体験に
来て下さってます!毎週水曜日 殺陣教室
毎週金曜日 キッズ殺陣教室
そして最近新たに始まった
魁多聞さんによる殺陣教室も開催中です
引き続きどうぞ宜しくお願い申し上げます。0116769719https://t.co/3J6UVHUG7k#北海道忍者道 pic.twitter.com/wa2iunRGhC
— HOKKAIDO NINJADO! (@hokkaidoninjado) March 30, 2023
いわゆる『○○体験』ができる観光名所はいっぱいありますが、忍者体験ができるコーナーがあるところというのは海外でも人気なのでしょう。
新型コロナによって海外からの来訪客も一時期は激減しましたが、今では大分戻ってきており今まで通り忍者体験を楽しんでいる海外の方々もたくさんいらっしゃるようです。
まとめ
今回は何であそこまで忍者が海外で人気がある存在なのかを解説してきました。
その源流を探すと、ブルース・リーに行き着くというのは正直めちゃくちゃびっくりしています。
ブルース・リーが大ヒットしたことで、『アジア圏の武道』がブームになったというのは納得できます。
その年代を生きたアメリカ人の人も同じ気持ちでブルース・リーの映画を追いかけた結果、NINJAブームが発生したというのはなかなかに面白いお話だったと思います。
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