その日の吉凶を簡単に表しているモノとして、今でもちょっとは意識している人もいるのが六曜となります。
しかし、この六曜は江戸時代の徳川幕府や大政奉還後の政府から、禁止や信じないようにといったお触れが出ていたという情報もあるのです。
今回はこういった禁止令やお触れは本当に出ていたのかを調べつつ、出ていた場合はどうして出されたのか、そして今でも残っている理由は何なのかを見ていきましょう。
六曜禁止令が出てたって本当?
結論を先に記載すると、江戸時代の徳川幕府や大政奉還後の政府から六曜禁止令的なモノが出されていたのは本当のようです。
江戸時代にまつわる六曜のお話はちょっとあやふやですが、明治政府に関する六曜の記述は確かなものが存在しており、明確に禁止していたことがわかっています。
このように禁止令が出されていたのに、今でも残っているというのがなかなかに面白いところです。
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江戸時代の徳川幕府はどうして禁止令を出したの?
これも色々と調べましたが、意見がいくつか分散しているので一つ一つ見ていきましょう。
まず江戸時代に入ると戦争がなくなることで、一気に平和になり様々なモノが流行し始めます。
この流行の中に占いが含まれており、様々な占いが信じられるようになりました。
この占いの中には、六曜を含めた八宿・干支・九星・十二直など様々な暦注が存在しており、カレンダーが、こういった暦注で埋め尽くされるような時期もあったと言われているのです。
様々な暦注が入り乱れることで、『この日は○○だから凶で動けない』といった考え方まで出始めてしまい、自主的な行動制限が発生するようになってしまったと言われております。
あまりにも六曜に振り回されているということで、見かねた幕府が禁止令を出したと言われています。
根拠のない迷信で日常生活にまで影響をもたらして、日取りまで決まってしまうのは、幕府側にとっても迷惑だったのでしょう。
他にも『暦の作成及び配布は古代から調停や幕府が行う行事であり、権力を持っていることの象徴だったので、迷信に近い存在を認めなかった』という意見もあります。
しかし、一度浸透してしまった暦注を完全に消去することは難しかったため、現代まで残るようになってしまったと言われています。
政府はどうして禁止令を出したの?
政府が禁止令を明確に出したタイミングは太陰暦を太陽暦に変更するタイミングです。
暦を一新するときに六曜を含めた暦注は、『吉凶付きの暦注は迷信であるため、カレンダーに記載するのはNGである』として禁止されるようになってしまいました。
明治5年11月26日付の太政官布告によると、『今般太陽暦御頒布に付、来明治6年(1873年)限り略暦は歳徳・金神・日の善悪を始め、中下段掲載候不稽の説等増補致候儀一切相成らず候』とのことで、明確に禁止されていることがわかっています。
福沢諭吉の書籍である『改暦弁』にも、『これまでの暦にはつまらぬ吉凶を記し、黒日の白日のとて訳もわからぬ日柄を定たれば、世間に暦の広く弘るほど、迷の種を多く増し』という記載があり、六曜は否定的な意見が出ています。
やはり民衆の行動の縛りとなってしまうような暦注は、政府側から見ても迷惑だったのでしょう。
しかし、反骨心からなのか禁止されることでもどうにかして残そうと、1882年頃からこういった暦注をたくさん記載しているカレンダー『オバケ暦』が誕生しました。
このオバケ暦によって暦注は残り続けるのですが、日中戦争頃になると出版統制が非常に厳しくなってしまい、オバケ暦の取り締まりもきつくなってきます。
こういった統制も第二次世界大戦が終了後に廃止されるので、問題なくカレンダーに六曜を記載できるようになりました。
ただし、政府関係者は禁止令を出してきた名残なのか、行政をはじめとする公共機関が作成するカレンダーや使用しているカレンダーは、六曜などの暦注が入っていないモノとなっています。
現代でも六曜が信じられている理由は?
現代でも六曜が信じられている、または六曜に基づいた行動をしている最大の理由が、終戦後の昭和20年代以降に政府による統制がなくなり、カレンダーに六曜を当たり前のようにかけるようになってからです。
この昭和20年代に生きてきた人達が六曜をかなり強く信じていたようで、その影響が現代にまで強く残っているとされています。
その人達の息子や娘に六曜にまつわる行動について教えている可能性が非常に高くなっています。
つまり、今現在60代以降の人達が六曜の影響を強く受けているということです。
この人達のしきたりや風習が強く残っている地域では、六曜にまつわる行動が定まっていると思います。
なぜ昭和20年頃からまた流行したのか?
戦後直ぐの昭和20年頃に、爆発的に六曜が流行してしまった理由はいくつか考察されています。
一つ目が『政府による統制が戦前が非常に厳しかったので、その反動によって爆発的に流行した』という説です。
いわゆる今まではNGだったものがOKになったので、とりあえずやってみたら以外に面白くて流行したという考え方です。
統制が厳しすぎたことでできないことが多すぎた時代が終わり、色んな事ができるようになったことで、その反動から六曜も受け入れられるようになったのでしょう。
二つ目が『オバケ暦の取り締まりがきつくなっても信じていた人はゼロではなかったので、統制がなくなったことで表に一気に出てきた』という説です。
まるで隠れキリシタンのように、隠れ続けた人達が表に出てきたという考え方です。
これからも六曜は残り続ける?
現代でも六曜に基づいた風習や行事は残っていますが、これからはどうなのでしょうか。
結論を記載すると『カレンダーそのものを購入しない人がかなり増えているので、廃れる可能性が高いが、100%消えるということはありえない』となります。
先ほど記載したように、この六曜を本格的に信じているのは戦争を体験したことがある世代とその世代のお子さんです。
今現在10代や20代の人達は影響を受けていない可能性がとっても高くなっています。
若い世代は特にカレンダーを購入せずに、スマホ一つで終わらせてしまう人が非常に増えたので、六曜が流行することは考えにくいのです。
30代や40代の人達も自分自身は全く信じていないけど、一応風習として残っているからそれに伴った行動をしているという人も多く、昔よりは六曜に基づいた行動は少なくなると思われます。
まとめ
以上、いかがだったでしょうか。
今回は禁止され続けた六曜と政府や幕府の関係について記載しました。
江戸時代や明治政府の規制や統制を考えると、六曜は約200年は上の立場の人達から禁止された吉凶占いだったという事がわかります。
現代は統制がなくなったのでカレンダーにいくら記載してもOKとなっていますが、そもそもカレンダーがスマホ一つあればOKな時代になっているために不要になりつつあるため、六曜も淘汰される可能性があるというのもなかなかに面白いお話です。
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