日本の歴史の中で、英雄達が大量に出現した時代と言えば幕末と戦国時代でしょう。
その中でもひときわ輝いているのが織田信長であり、それにまつわるお話は世の中にびっくりするほど存在します。
今回はこの織田信長の最後となった本能寺の変に注目し、遺体はいったいどこにあるのか、どの説が有力視されているのかを調べて参ります。
近代に入って歴史的発見が次々と見つかっていますので、最新情報が加わっている可能性もあります。
戦国時代には討ち取った人の首が必須
戦国時代には負けた側の大将の首を使って、その首が本人のモノであるということを確認する、「首実検」と呼ばれるモノを行います(首を使って物理や化学のような実験をするのではありません)。
昔は写真などの技術がありませんので、討ち取った存在が本当に敵の大将なのかを確認する方法が少なかったのです。
そのため、討ち取った相手が本物であるのかを確認するために、その人を知っているもとの家臣や繋がりがあった人物を呼んで確かめました。
その後に討ち取ったことを世間的に公表してさらします。
織田信長はさらに特殊で、姉川の戦いで死闘を繰り広げた、朝倉義景と浅井長政を討伐すると、頭蓋骨に漆を塗って、さらには金粉をまぶして披露したという逸話もあります。
このように扱っていたので、自分が死んだらどうなるのかも、信長がわかっていたのでしょう。
そのため、織田信長は死体を誰にも渡さないように、燃やしたと言われているのが一般的なのです。
参考記事

織田信長の遺体はどこにあるのか?
本能寺の変で亡くなったとされている織田信長の遺体は、どこにあるのか現代でもはっきりしておりません。
儒学者の小瀬甫庵が書いた有名な「信長記」にも、はっきりと骨すら見つかっていないと記載されており、未だにはっきりとしたことがわかっていません。
そこで、現代においていくつかの有力な説をまとめていきたいと思います。
本能寺が焼け落ちたことで灰になった
ネット上でも一番多く聞かれる説が、本能寺が燃えたことで炎に焼かれてしまって、灰になったという説です。
死因が自殺なのか、焼死なのか、一酸化炭素中毒なのかまでは特定できませんが、燃え尽きてしまったというのは事実なので、骨も残らなかったのでしょう。
また、本能寺には毛利元就討伐のための支援物資として、大量の武器や火薬が持ち込まれていたという説もあり、炎に包まれそれらの火薬に引火し、大爆発及び大炎上した可能性もあります。
普通の炎なら骨も残らない状態には、なかなかならないかもしれませんが、火薬がたっぷりあったのなら話は別でしょう。
他の説として、本能寺の前の屋敷にいた文官の村井貞勝が、爆発音を聞いたという報告をしていたというのもありますので、火薬に引火した可能性は高いでしょう。
誰かが持ち出した?
もう一つ別の有力視されている説が、首を誰かが持ち出したという説です。
ただし、この持ち出したのは誰なのかというのは、非常に様々な意見が出ておりどれが真実なのかはわかりません。
いくつかの説を記載します。
まずは、阿弥陀寺の住職である清玉上人が、本能寺の僧の振りをして脱出し、首を持ち出したという説です。
こちらは後、信長とかねてから親交があった、阿弥陀寺の清玉上人との関わりから疑われている説ですが、実際に境内には「織田信長信忠討死衆墓所」があるので、可能性は確かにあるでしょう。
次の説は日蓮宗の僧侶である日海上人が、父で武士の原宗安に遺体を託し、静岡県にある日蓮宗の西山本門寺に埋葬したという説です。
本能寺の変の前夜に、囲碁の名人で日蓮宗の僧侶である日海上人が対局を行っており、そのことからこのような説が出たのでしょう。
次の説がイエズス会の司祭だった、アレッサンドロ・ヴァリニャーノの従者であり、後に信長に使えることになる、黒人のイサクによって持ち出されたという説です。
このイサクは、信長に「弥助」という名前を与えられ、信長の小姓として本能寺でもそばにいました。
弥助も本能寺で戦ったのですが、死ぬことはなくとらえられて終わります。
しかも、その後解放されて行方がわからなくなっているのです。
噂では後の戦いで黒人がいたという情報があり、その人物が弥助といわれております。
このように弥助は本能寺の変で戦っていますが、生き延びているのです。
そもそも本能寺で信長が死んでいない?
実は織田信長が本能寺の変で死んでいないという説もあるのです。
日本人は様々な英雄の生存説を唱えるのが好きで、西郷隆盛や源義経や明智光秀にも生存説が存在しているのです。
織田信長の場合は、本能寺には実は地下迷宮のようなものがあり、そこから脱出して生き延びたという説が存在しています。
無傷ではなかったので、脱出してもその傷が原因で直ぐに死去したとか、脱出しても秀吉に生きていると邪魔だったために、幽閉されてしまったという話しに繋がるようです。
個人的な見解ですが、織田信長が仮に生きていたら、スゴイ勢いで明智光秀を誅伐に向かったと思いますので、生存説はさすがに厳しいと思います。
戦国武将人気ランキングで信長は常に上位
その時代や年代によって好きな武将は誰かといった話題になると、大きく意見は分かれるでしょう。
それでもたいていの人気ランキングで、上位に入るのが織田信長です。
2019年12月28日と2020年4月27日に行われ、テレビ朝日系列で放送された『国民10万人がガチ投票!戦国武将総選挙』においても、織田信長は1位でした。
こういったランキングは、ランキングをする直前にあった大河ドラマの影響を受けやすいのです。
しかし織田信長は、大河ドラマに関係なく上位に入っていることがわかります(2020年は明智光秀が主役の麒麟がくるなので、織田信長の登場回数は多いですが…)。
ちなみに、こういったランキングで上位に来ることが多いのは、伊達政宗・上杉謙信・真田信繁・武田信玄です。
天下人である豊臣秀吉や徳川家康も上位10以内に入ることは多いのですが、トップになった姿は見たことがありません。
個人的にも戦国時代の文献はいろいろと読み漁り、どの武将が何をしたのか、黒い部分も把握しているつもりです。
それらをいろいろと知ってしまうと、今まで好きだった武将もあまり好まない人物に映ってしまうので、最終的には自己プロデュース力が高くて、家臣をヨーロッパに派遣するなど面白い行動が多い伊達政宗に落ち着きました。
まとめ
以上、いかがだったでしょうか。
今回は織田信長の遺体はどうなっているのか、本当に本能寺で死亡したのかを調べてみました。
本能寺から脱出したという生存説もそれなりにあったのですが、個人的には死亡したという説が有力だと思います。
問題の遺体がどこにいったのかというお話ですが、未だにはっきりしていません。
2020年になって研究も進んでいると思ったのですが、本能寺の変の謎はまだまだ解けていないようです。
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