名曲『青葉城恋唄』が作詞・作曲された経緯とは!作詞者はアマチュアの方?

宮城県仙台市を代表する歌といったらいくつかありますが、今現在50代以降の方々の愛する歌は『青葉城恋唄』でしょう。

そこで、今回は仙台の七夕祭りで良く流れる名曲『青葉城恋唄』が、どのように作詞・作曲されて多くの方々に愛される曲になったのかをご紹介いたします。

経緯を調べると売れるようになったのも納得する綺麗な流れがあったのです。

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『青葉城恋唄』とはどんな歌?

2021年現在30歳までの方、または仙台七夕祭りに行ったことがないという方、そもそも宮城県を含めた東北地方に行ったことがない方は、この『青葉城恋唄』をご存知でない方もいらっしゃるでしょう。

知っていたとしても色んな人達にカバーされている唄なので、ヒットした原曲を知らないという方も多いかと思います。

なので、まずはこの『青葉城恋唄』についてご紹介いたします。

タイトル:青葉城恋唄

リリース:1978年5月5日

作詞:星間船一氏

作曲・唄:さとう宗幸氏

参考

青葉城恋唄 - 二木紘三のうた物語
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo作詞:星間...

ジャンル:フォーク

レーベル:キングレコード

・第7回FNS歌謡祭・最優秀新人賞受賞
・第20回日本レコード大賞・新人賞受賞

このように作曲と唄を担当している方がさとう宗幸氏で、作詞は星間船一氏です。

ただし、この歌はものすごく色んな人達にカバーされているのも特徴となっています。

何人か超有名人を抜粋すると五木ひろし・倍賞千恵子・石川さゆり・八代亜紀・森昌子などがカバーしているので、これらのカバー曲を聴いたことがある方もいるでしょう。

ちなみに、所ジョージのアルバムにこの『青葉城恋唄』のパロディ曲である『西武園恋唄』も収録されているので、こちらのパロディ曲から『青葉城恋唄』を知ったという方もいらっしゃるでしょう。

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『青葉城恋唄』が誕生した経緯は?

『青葉城恋唄』が誕生した経緯はなかなか面白いです。

『青葉城恋唄』の解説で見たように作曲・唄はさとう宗幸氏でしたが、作詞は星間船一氏でした。

これが大きなポイントとなっています。

さとう宗幸氏は、1977年頃東京の企業を脱サラして地元の宮城県に戻ってきて、新しい仕事としてNHK-FM仙台の『FMリクエストアワー』のDJを勤めていました。

このDJをしている時に『リスナーから作詞してもらった歌詞を作曲して歌う』という企画をしており、このリスナーの一人に星間船一氏がいたのです。

この星間船一氏は仙台でご自身が失恋した経験を歌詞にしました。

しかし歌詞に『七夕祭り』や『広瀬川』や『青葉通り』という仙台の七夕祭りにまつわるワードが多く含まれていたこともあり、さとう宗幸氏が気に入って歌詞も少し手直しし、わずか5分程度で作曲し歌い上げました。

そのコーナーの企画の一つとしていつも通り歌い終わったのですが、リスナーからリクエストが返ってきたことでもう一度歌うことになり、そこからさらにリクエストが増えていきます。

リクエストが非常に増えたことで、ほぼ毎週この唄を歌う状態になったのですが、反響がさらに大きかったことから、東京のキングレコードにデモテープが持ち込まれました。

その結果、仙台市出身のディレクターが気に入ったことでレコーディングされるというストーリーがあったのです。

つまり、あるラジオ番組における企画によって、一般のリスナーとのやりとりがあったことで誕生した歌というもので、めずらしい経緯がある歌となっています。

ちなみに、リリースは1978年5月5日と紹介しましたが、リリースする前に大物作詞家であった阿久悠氏が、メジャーデビューにあたって歌詞の手直しを指示しました。

レコード初版では『時はめぐりまた夏が来て』という歌詞になっていたのですが、時はめぐるものではなく過ぎ去るものであるとして、『時』を『季節』と書いて『とき』と読ませるというやり方をしたのです。

なぜミリオンヒットした?

このようにメジャーデビューした経緯やそもそも『青葉城恋唄』が誕生した経緯を見てみると、エピソードが満載な唄であるということがわかりました。

元々デビュー曲として出された『青葉城恋唄』は、もちろん全国区の知名度を誇る唄ではなかったので滑り出しはそこまで良いものではありませんでした。

むしろ競わせるために用意されたライバルのダークダックスのレコードの方が、売れ行きが好調で最初は負けていたのです。

しかし、1978年には今現在50代以降の方々で、仙台に住んでいた人なら経験したことがある宮城県沖地震が発生し、さとうの地元が被災してしまいました。

ここで、少しでも勇気づけるために行動したいと思ったさとう宗幸氏、は復興の意をこめて生中継で仙台から歌いました。

また、今のJR東日本に該当する国鉄仙台駅でも、特急列車が到着する度に流れるようになったり、仙台でひたすら『青葉城恋唄』が流れるようになったのです。

元々代表ソングが存在しない仙台は、ご当地曲と言える『青葉城恋唄』を求めていたという意見もあり、急速に広まっていきました。

また、その年の8月5日に開催された仙台七夕花火祭において、西公園ステージで特別な演出をしたことも相まってさらに仙台で愛される曲になります。

こういった演出もあったために仙台七夕祭り頃から売上が逆転して、最終的には110万枚売れたのです。

当時の仙台市は国鉄が開通したとはいえ、東京から片道4時間もかかる地方という認識であり、この『青葉城恋唄』も地方を代表する『地方発の歌』として全国に紹介されるようになりました。

そして最終的には、その年の第20回日本レコード大賞新人賞と第7回FNS歌謡祭最優秀新人賞を獲得いたしました。

『青葉城恋唄』は今はどんな場所で流れている?

このように仙台を代表する歌になっている『青葉城恋唄』ですが、今でも色んな所でも使われているのです。

とてもわかりやすいのが『仙台七夕祭り』の時期になると、この『青葉城恋唄』が流れているのです。

そのため仙台に住んでいる方なら、多くの方が聞いたことがある曲となっています。

また、仙台フィルハーモニー管弦楽団演奏の発車メロディとして、JR仙台駅新幹線のホームでも流れています。

他にも東北楽天ゴールデンイーグルスのチャンステーマの一つに、この『青葉城恋唄』のイントロ部分が使われているのもポイントで、いわゆる野球が好きな方ならば何気なく聞いたことがある曲にもなっています。

まとめ

今回は『青葉城恋唄』について詳しく解説しました。

曲ができてから売れるようになった経緯までじっくりと見てみると、なかなかに数奇な運命を辿っている曲であるということがわかります。

今でこそ仙台や仙台七夕祭りを代表する曲となっていますが、この曲がなかった時代は仙台を代表する曲そのものがなかったので、広まったことを歓迎する方も多かったのでしょう。

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