【春分の日】令和7年(2025年)はいつ?なぜ年によって変わるの?

春分の日は国民の祝日となっていますが、ではどうして春分の日が休みなのか、その理由を知っている人はどれくらいいるでしょうか。

また、春分の日は毎年同じ日とは限らないことも気になりますよね。

春分の日は、どのような決め方をしているのでしょうか。

これらの疑問を紐解くには、そもそもの春分の日の『春分』の意味を調べることが手掛かりとなりそうです。

そこで今回は、春分の日についてご紹介いたします。

 

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『春分の日』とは?令和7年(2025年)はいつ?

令和7年(2025年)の春分の日は、3月20日となっています。

しかし、春分を始めとする節気(「春分の日はどうやって決まるの?」にて詳しく説明しています)は、その日一日を指す場合もあれば、次の節気までの期間を示すこともあります。

春分の次の節気は4月4日の清明です。

そのため、春分の日は?という問いに対しては3月20日となりますが、春分は?という問いになると、場合によっては3月20日から4月3日までを指すこともあります。

参考資料

国立天文台 令和7年(2025年) 暦要項

春分の日の由来や意味を教えて!

春分の日は、二十四節気の中の春分にあたる期間の中でも、太陽が春分点(「春分の日はどうやって決めるの?」にて詳しく説明しています)を通過する日のことを言います。

上記で節気はその日一日を指す場合もあれば、期間を指すこともあると言いましたが、春分は主にその日一日を指す『春分の日』が一般的によく知られていますよね。

これは、春分の日が国民の祝日として法律で定義されているためです。

ちなみに春分の日の趣旨は、『自然をたたえ、生き物をいつくしむ』となっています。

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春分の日の決め方は?

 

春分の日(春分)は、二十四節気の一つです。

二十四節気は中国で生まれたもので、日本へは平安時代に伝わったと言われています。

昔は現在の太陽暦(地球が太陽の周りを一周する日数=約365日を一年とするもの)ではなく、月の満ち欠けによって暦を決める太陰暦が採用されていたため、一年が約354日となり、実際の季節とはズレが生じてしまっていました。

二十四節気はこのズレを修正するために、一年を24等分にして季節に見合った名称(節気)をつけたもので、主に農作業を行う際の目安として利用されていたと言われています。

二十四節気を決める場合に重要となるのが、一年の中で最も昼が長い夏至、最も夜が長い冬至、昼と夜の長さが同じ春分、秋分でした。
(春分の場合、正確には昼の方が14分ほど長くなるため、昼と夜の長さがまったく同じではなく、ほぼ同じということになります。)

これらは太陽が天球上の通り道(黄道)通過する角度によって決められていますが、特に春分は黄道と天の赤道(地球の赤道面を天球上に伸ばし、交わってできる円のこと。

惑星や恒星の位置を決める基準となるもの)が交差する点が存在し、これを春分点としています。

そして、一年の長さを決める際には、春分点を黄径0度として節気ごとに15度ずつ角度が変わり、太陽が一周(360度)するのを以て一年としています。

このようなことから、春分点を含む春分は、一年を決める基準となっています。

なぜ年によって春分の日は変わる?

地球が太陽の周りを一周する日数は365日ぴったりではなく、平均して365.24219日となります。

これを時間に直すと365日と6時間となり、つまり太陽は365日と6時間で一周しているということになります。

上記で、地球が一周する際には黄径0度の春分点を起点にしていると書きましたが、より詳しく述べると、春分点からスタートして再び春分点に地球が戻ってくるまでに、365日と6時間かかるということになります。

そのため、2年後には365日と12時間、3年後には365日と18時間と・・6時間ずつ蓄積してしまうため、それに伴って春分の日がズレることがあります。

しかし、このズレが永遠に続くわけではありません。

なぜならうるう年があるからです。

うるう年は4年に一回、2月29日を設けることでこのズレを修正するため、24時間、30時間、36時間・・と本来なら蓄積していく6時間ずつのズレを解消することができます。

このようなことから、春分の日は毎年同じ日とならず、3月20日頃というやや曖昧な記述になってしまうのです。

なお、1923年には3月22日が春分の日となることがあったり、逆に2092年3月19日が春分の日となると言われています。

春分の日になぜお墓参りや先祖供養をするの?

春分の日を中日として前後の3日間(合計7日間)は春の彼岸と呼ばれ、お墓参りをする人が多くいます。

でも、春分の日とお彼岸にどのような関係があるのか、よくわからないという人もいるのではないでしょうか。

春分の日は、昼と夜の長さが同じになる日ですが、これは太陽が真東から上がって真西に沈むために起こります。

仏教の世界では、悟りを開いた僧侶が辿り着ける極楽浄土は西に、私達が住む世界は東になると考えられています。

一年の中で、西と東が最も近くなる日である春分は、先祖への感謝の気持ちを伝えるのは最適とされたことから、この時期にお墓参りを行うようになったと言われています。

なお、極楽浄土は彼岸とも言われることから、その時期に行う先祖供養をお彼岸と呼ぶようになったそうです。

ただし、お彼岸は日本独自のもので、仏教の発祥の地であるインドなどでは行われていません。

これは、日本には昔から五穀豊穣を願って春や秋の時期に、先祖や神様に感謝をする習慣があったために根付いたと言われています。

春分の日が国民の祝日の理由は?

二十四節気の中でも、特に重要な意味を持つ春分や秋分は国民の休日が設定されていますが、同じように重要とされる夏至や冬至は国民の祝日にはなっていません。

その違いが何なのかと言うと、春分の日は元々『春季皇霊祭』と言って、歴代の天皇や皇后、皇族の霊を祭る行事が宮中で行われており、国民の祝日として制定されていました。

しかし、戦後にGHQの指示によって春季皇霊祭は廃止され、代わりに春分の日と名称を変更されたのです。

その後も宮中では春季皇霊祭は行われていたものの、国民の目に触れることなく今に至っているので、現在の日本人の多くが、春分の日がその昔は神事だったことを知らない現状となっています。

参考タイトル:宮内庁
URL: 主要祭儀一覧

春分の日に食べる『食べ物』は何?

春分の日に限るわけではないのですが、春のお彼岸にはぼた餅を食べますよね。

春のお彼岸にぼた餅を食べる理由は諸説ありますが、最も有力とされているのが昔から小豆には魔除けの力があると言われていたことから、小豆を使ったぼた餅を先祖にお供えすることで邪気を祓うという意味があったと言われています。

なお、秋分の日にはおはぎを食べますが、実はぼた餅とおはぎは全く同じ物で呼び方だけが違います。

その理由は、ぼた餅をお供えする春は牡丹の花が咲く時期であること、おはぎは萩の時期だからと言われています。

また、ぼた餅はつぶあん、おはぎはこしあんで作るのが正しいという言われ方をしますが、これは間違いで、小豆の収穫時期である秋は、皮ごと煮ても美味しく食べられることから、おはぎはつぶあん、一方冬を越した小豆は皮が固くなっているので、春に食べるぼた餅はこしあんで作るのが、本来の方法と言われています。

(ただし、現在は品種改良などにより、春でも皮のやわらかい小豆を仕入れることができるため、どちらで作っても構わなくなっているようです)

まとめ

2025年の春分の日は3月20日です。

春分の日は、太陽が春分点を通過する日のことを言います。

また春分とは、3月20日から次の清明の前日である4月3日までを指すこともあります。

昔は天皇の霊を祭る神事が行われていた日でしたが、戦後に廃止され、国民の祝日の役割を引き継いだまま、春分の日と名称が変わり現在に至っています。

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